マスタープランの変遷

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昭和三十八年(一九六三)七月十一日に新住宅市街地開発法(以下、新住法とする)が公布施行されると、建設省はこの法律の適用を積極的に進めていこうという姿勢をとった。建設省、日本住宅公団、東京都首都整備局は、一体となって新住宅市街地開発事業への準備を進めていく。かねてから大規模住宅団地の建設計画を準備していた東京都首都整備局は、南多摩総合都市計画策定委員会が作業をしていた昭和三十八年十二月十日に、都庁内部で「多摩地区開発計画案」をまとめた(資四―292)。
 この案は「宅地難緩和対策の一環として、多摩都市計画区域、日野都市計画区域及び町田都市計画区域の一部について、新住宅市街地開発法に基づく開発事業を施行」するものであった(資四―292)。同時に、「区域内を東西に横断し、区部に連絡する高速鉄道を設ける」こと、「本計画区域と日野、町田、八王子地区を結ぶ幹線道路の整備を図る」こと、「学校、研究機関等の施設を誘致し、もって都市機能上均衡のとれた新市街地の開発を進める」ことなども盛り込まれた。多摩ニュータウン開発部分に相当する第一期計画は、計画人口二五万人、区域面積が二二四八・七ヘクタール、事業費が一一九四億五〇〇万円、事業期間は七年とされていた。そして十二月下旬には、河野建設大臣がこの計画を了承し、翌三十九年の一月十二日に現地を視察した(東京都首都整備局『多摩ニュータウン構想』昭和四十三年)。
 また、建設省は二月五日に「人口の集中の著しい市街地の周辺」で「宅地難を緩和するため、全面買収による大規模な宅地開発を行う場合には、本法(新住法)に基づく新住宅市街地開発事業の積極的活用を図る」ことなどをうたった都知事宛の依命通達を発して、都の計画の推進をあと押ししている(『多摩ニュータウン構想』)。
 さて、四章三節では、昭和三十七年度に首都整備局が一六〇〇ヘクタールの集団的宅地開発計画試案を立てていたことにふれた。東京都南多摩新都市開発本部が昭和六十二年にまとめた『多摩ニュータウン開発の歩み(第一編)』には「第一次案は、この試案の区域をさらに南西に進展した二二四八・七ヘクタールのリニアタウン(線形都市)であった」と書かれており、この一次案と「多摩地区開発計画案」の面積が等しいことから、「多摩地区開発計画案」は都市計画策定作業のなかで立てられた第一次案にもとづくものであることがわかる。
 図2―5―1を見るとわかるように、このときの計画区域は「多摩丘陵の尾根を中心に広がり、多摩川・鶴見川の両水系にまたがる多摩町の南部、町田市の北西部(尾根およびその支尾根―鶴見川の水源地帯)が主体で、稲城町は鉄道導入部として多摩弾薬庫が入るだけで、由木村はきわめて小さい範囲が含まれるだけであった」(『多摩ニュータウン開発の歩み(第一編)』)。

図2―5―1 マスタープランの変遷図(第1次案~第3次案)
『多摩ニュータウン事業概要』より作成。

 ところで、「多摩地区開発計画案」が提出されたとき、都庁内では同時に「多摩都市計画新住宅市街地開発上の問題点」という文書も、まとめられている(資四―292)。この文書には、当時の都庁内で、開発に向けてどのような懸念があったのかがよく記されている。まず第一に掲げられているのが首都圏整備計画との関連についてであり、「市街地開発区域でもなく、また近郊地帯でもない多摩村を中心に開発することの適否」と、「長期的な観点から、本住宅市街地が、八王子・町田市街地開発区域と一連の都市となって発展する(東京の単なるベッドタウン化しない)可能性があるか」という二点が問題とされた。第二には、住宅政策のあり方として、「区部周辺の土地を購入する方が安上がりではないか」という批判があることがのべられている。第三に、鉄道を引くための「企業者の決定、資金の収入出、ルートの決定について問題がある」こと、第四には、水源をどこに求めるか、また、下水が境川・鶴見川水系に落ちると神奈川県内において河川改修が必要となるという問題、以上の四点が解決すべき問題とされた。
 では、これらの問題について、計画立案者たちはどうこたえたのか。まず、第一、第二の問題については、『南多摩総合都市計画策定委員会報告書』の「南多摩土地利用計画」の章で、「区部依存のベッドタウン化を抑制する」ために連合都市を形成する方向性が打ち出されており、それにもとづいて「街路網計画」の章では、開発区域と周辺の都市とを幹線道路で結ぶ街路計画が考えられていた。第四の排水の問題については、マスタープランの立案過程において、第二次案で、町田市北部の鶴見川水系の区域を開発区域から除外して解決をはかった。
 また、第三の鉄道については、区域を「多摩川支流の大栗川、乞田川流域を主要部分として多摩町、稲城町、由木村の三町村にわたる二九九九ヘクタールに拡大し」、開発の規模を大きくすることによって誘致の条件を整えようとした。この区域拡大により、急きょ由木村も村域のかなりの部分が開発区域に組み入れられた。さらに第三次案では、おもに地形的な問題により、町田市北部の多摩丘陵主尾根北側地域(小野路地区の瓜生、一本杉、平久保、荻久保の四集落)が開発区域に再び組み入れられるとともに、「鉄道導入部を変更したことにともなって、稲城町坂浜の一部」も組み込まれた。同時にこのとき、「開発区域内のゴルフ場は都市計画緑地に指定することを前提として除外」されている(前掲『多摩ニュータウン開発の歩み(第一編)』)。
 これらはいずれも、都市計画上の要請による区域変更であって、対象となった地域の特性や産業構造などを顧慮したものではなかった。そのことは、のちに地域からさまざまな要求、反発、批判が噴出する遠因ともなったのである。