地元の不安や要望

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多摩ニュータウン開発の全容がしだいに明らかになると、開発予定区域に指定された村々には衝撃がかけめぐった。計画区域内の土地を全面的に買収し、区域内の集落に居住している住民を集団移転させるという計画は、すなわち、伝統的な地域社会をまるごと滅失させてしまうことを意味した。農家にとっては、農地を手放して移転するさいに、代替農地の保証がないかぎり、転業を余儀なくされ、生活の全面的な変化を強いられることになるからである。朝日新聞は「ニュータウン計画の中心地、多摩町と稲城町、旧由木村は」「こんどの都の計画には『協力をおしまない』(寺沢多摩町助役)と、おおむね積極的な態度を示している」のに対して、「六年間で全地域の整地を終るという急テンポの計画に、これまで『ゆるやかな開発』を予想していた地元農民の間には、将来の生活に不安を感じる向きも多い」と、行政当局と農民とでは受け止め方にちがいがあることを報じた(『朝日新聞』昭和三十九年十月八日付)。

図2―5―3 地元の複雑な反応を伝える記事

 同記事によれば、この時点で「すでに『計画区域から農地は除外してほしい』という陳情が、稲城町、町田市小野路など四地区から、地元の議会や都知事に出されて」いた。
 とくに稲城町の場合は、そもそも町議会が、開発による米軍多摩弾薬庫の返還を期待して開発への同意を決めたのであったから、十月二日の東京都市計画地方審議会の決定には強い反発を示した。稲城町議会は十月十七日付で、都議会ほか関係行政機関に意見書・請願書を提出した。それによれば、稲城町では、開発計画区域の決定にあたって、「当初より旧火工廠の遊休施設並びにゴルフ場多摩カントリーの開発を第一義とし、要望もし期待したもの」であったと主張されている。だから「この区域の除外により町及び周辺地域の総合的な開発計画は大いに挫折したといわざるを得ず、これが一般住民に及ぼす精神的、感情的な影響は、前むきで開発を期そうとする事業の円滑な推進のための一大障害となることは明白である」とし、「町の総合開発を望む」立場からも「この地区を速に区域に編入して早急に総合的な開発を推進していただきたい」との要求をつきつけた(稲城町議会「意見書」、多摩市議会蔵)。さきにものべたように、もっぱら都市計画上の要請から、新たに農業地帯が開発区域に編入されるいっぽうで、ゴルフ場や米軍の遊休施設は除外されたのであるから、これに対する地元側の反応はまさに複雑な様相を呈していた。また、各市町の開発への対応にも微妙な差が生まれていた。
 多摩町、稲城町、八王子市、町田市の理事者と議長らは、昭和三十九年(一九六四)十一月九日に、南多摩ニュータウン協議会を結成した。多摩ニュータウン建設にともない、農家の転業問題、学校や公共施設の建設のための財政問題など、予想される問題について、関係四自治体で地元の要望をとりまとめ、足並みをそろえて国や都との交渉にあたろうとしたのである。この協議会は、翌四十年五月十一日に、八点にわたる要望書(資四―308)をまとめ、都知事ほか関係機関に働きかけを行った。そのなかには、地元関係市町に計画を提示し都庁内に統一された連絡機関をつくること、「出来る限り既存集落を除外した計画」を立てること、米軍多摩弾薬庫を計画区域に編入すること、「計画区域の内外の農林施策は充分に考慮」することなどが掲げられていた。