東京オリンピックの開会日にあたる昭和三十九年(一九六四)十月十日、東京都市計画地方審議会の議決からわずか八日後にして、農林省関東農政局から多摩ニュータウン開発に「待った」がかかった。新住法第四四条では、新住宅市街地開発事業を施行すべきことを都市計画として決定する前に、建設大臣が農林大臣と協議することが義務づけられていた。多摩ニュータウン開発では「建設省都市局長、同住宅局長から知事宛の通達に」より、「この協議に先だち、都知事が、都市計画担当部局と農地担当部局間の意見調整を行うとともに地方農政局長と協議」するよう指示されていた。農水省関東農政局長は、東京都経済局長に宛てた回答のなかで、十月一日付通達の新住宅市街地開発事業の協議に関する調査要領にもとづいて、各農家の意向を再調査の上、報告すべきであると主張するとともに、反対陳情に対する措置等を行うことを、東京都首都整備局に求めたのであった(『多摩ニュータウン構想』)。都市計画地方審議会で議決された計画がすみやかに計画決定されないのは異例のことだった。
こうして「区域内の営農農家と農地の扱いに関しての近郊農業政策の調整」(日本住宅公団南多摩開発局『南多摩開発局一〇年史』)をめぐり、両省の協議が難航を続けた。この協議を東京都首都整備局がどのように見ていたかは、「多摩ニュータウン計画の経過と問題点について」(資四―298)という文書によってうかがい知ることができる。この文書は、昭和四十年八月十一日の都庁内各局間協議に首都整備局が提出したものである。首都整備局は、都知事が昭和三十九年六月に、多摩ニュータウン開発の都市計画決定にかんして、東京都農業会議に諮問し、八月に原則的に了解する旨の答申を得たから、関東農政局と協議を行っているのだという。しかるに、「同局は農業継続者対策、生活再建措置等について具体的な措置の明示、並びに対策が確実に行われることの保証を求めている。しかし、本事業の施行者が確定していない現時点において、行政庁たる都知事が施行者が行うべきこれらの措置を保証することには、問題がある」というのである。
東京都農業会議は、三十九年八月二十四日の第一五回通常総会の議決にもとづいて、都知事に「多摩新住宅市街地開発に関する答申」を行った。その答申書の冒頭ではたしかに「理想的な環境の丘陵地帯に近代的な新住宅都市を建設し、首都の整備をはかることは事情止むを得ないものと認める」とのべられている。しかしその答申の内容は、開発の実施にあたって、「計画の周知」、「用地等買収体制の一本化」、「生活再建者に関する行政指導窓口の一本化」、「計画地域の農林施策」、「周辺地域の農政拡充」、「災害ならびに公害の防止」の六点について「万全の措置」を求めた厳しいものであった。
とくに農林施策にかんしては、開発期間中にも「計画的に農業経営の維持ないし転換等について、個別経営の実情に即応した適切な指導援助を行うこと」、「園芸・畜産等によって自立化ないし企業化をめざす農業者のため、域内ないし域外にその集団化計画を樹立推進すること」、「事業の進展にかかわらず、残留する農業地区に対しては住宅地区と著しい格差を来たさぬよう、これと調和した環境の整備と農林施策の充実に特に留意すること」の三点の要求を打ち出していた(『東京都農業会議三〇年史』)。
この答申は、先にのべた五月二十八日の「多摩新都市建設に関する基本方針」の三二〇〇ヘクタールの区域に全面的に新住宅市街地開発事業を実施するという内容とは両立するものではなかった。むしろ、基本方針の修正を迫るものである。しかし首都整備局は、東京都農業会議が「原則的に了解」したと理解していたのであった。このようにボタンを掛け違ったまま、開発計画の立案は着々と進められていたのであるから、いざ、農林・建設両省の協議になったさいにこじれるのも無理はなかった。さきにのべた四十年八月の会議に話をもどすと、そこでは農林施策をめぐる協議について、東京都首都整備局は「今後協議の進展を図るためには、建設省が農林省と協議し、基本的な了解を得ることが必要である」としている。