多摩町ではじめて、施行者と各農家のあいたで新住宅市街地開発法にもとづく用地買収交渉が始まったのは、日本住宅公団の第二次地区であった。この地区のうち多摩町域にあたるのは、多摩ニュータウン第七・八住区(貝取・豊ヶ丘地区)、第一〇・一一住区(落合・鶴牧・南野・唐木田地区)であった(資四―300)。この地区の用地買収の経過については、『南多摩開発局一〇年史』に詳しく書かれているので、やや長くなるが引用しておこう。
●開発説明―昭和四十年一月、多摩町議会に新住宅市街地開発法による事業内容の説明を行ってから、同年三月までに、多摩市と町田市において七回の説明会を開き、また、八王子市については、昭和四十一年二月までに部落ごとの説明会を開きました。
●買収交渉―昭和四十年四月、地主代表から買収方法、買取価格などについての意見聴取の後、同年十月までの間に十一回にわたり部落ごとの説明会を開催し、価格指数、買収方法などについて説明を行いました。
●買収価格の決定―先の説明会で土地所有者などから意見聴取を行うとともに鑑定価格を基礎として買収価格の原案を作成し、同年十月から、十一月の間に事業の施行三者で協議を行い、買取方法と買収価格を決定しました。
●価格発表と買取交渉―昭和四十年十一月、部落代表者に買収価格を発表するとともに、価格を印刷して各人に送付し、以後、部落ごとの説明会を行い、かつ地主に対する個別の買収交渉を開始しました。
図2―5―6 公団による開発説明会のようす
この叙述を読む限り、買収交渉の開始にいたるまで、一歩一歩手順を踏んで進められたようにみえる。しかし、開発施行者が土地所有者の理解を得るのはそう簡単なことではなかった。説明を始めたころの苦労を、当時の日本住宅公団用地担当職員は、つぎのようにのべている。
四十年一月より集落ごとに昼夜の別で連日説明会を実施しました。なにしろ寒中のことであり、火の気は無く、風通しの良い集会所のこと、相当の難行でありました。農民の血の叫びは真に迫るものばかりで、これは後日の事業計画の立案に大いに影響したと思っています。説明会とはいうものの事業については何等の具体的な計画は未だなく、ただ開発を予定される区域は全面買収だということが明確なだけ、もっぱら新住法の解説が主な内容でした(『南多摩開発局一〇年史』)。