建設の着工

852 ~ 852
このように、多摩ニュータウン開発は、多摩村の地域社会を激しく揺り動かし、また地域社会から強い反作用も受け、計画を修正したり、ときには強権発動もしながら、徐々にその土台が築かれていった。
 昭和四十四年六月二日、日本住宅公団は多摩ニュータウンの起工式を行い、開発はいよいよ用地買収・宅地造成の階段から建設段階へと歩を進めた。式には坪川建設大臣、林日本住宅公団総裁、地元市町代表、土地提供者代表ら一二〇人が参加し、坪川大臣と林総裁がクワ入れをした(『朝日新聞』昭和四十四年六月三日付)。これ以後、昭和四十六年三月の第一次入居まで、宅地造成工事と住宅建設は急ピッチで進められていく。

図2―5―13 建設のすすむ永山団地と貝取の集落

 また、着工から昭和四十六年一月までの一年半の間に少なくとも一一人が、転落、土砂崩れ、機械への巻き込まれなどの労働災害により、尊い命を失ったことも、ここに記録しておく(『毎日新聞』昭和四十五年五月二十四日付、同年十月十七日付、四十六年一月三十日付、『朝日新聞』昭和四十五年十二月二十四日付、四十六年一月十九日付)。