ニュータウン都市へ

853 ~ 853
昭和三十年代から民間宅地開発が進むにつれ、多摩村(町)の人口は急増した。国勢調査によれば、昭和三十五年(一九六〇)の人口は九七四六人であったが、四十年に一万八三七六人、四十五年には三万〇三七〇人と、十年間で三倍以上の増加を示した。昭和四十六年(一九七一)三月二十六日、多摩ニュータウンの最初の入居が始まった。この年の十月の住民基本台帳による人口は、前年より約一万三〇〇〇人増えて、四万二〇二六人に達し、さらに、昭和五十年には八万六〇〇〇人、五十五年には一七万人に達すると想定されていた(昭和四十六年多摩町議会第三回定例会における町長の説明)。短期間のうちに近代的なニュータウン都市へと変貌をとげることが見込まれていた。しかしながらその前に、多摩町は多摩ニュータウン開発を受け入れたことによる深刻な財政危機に直面していた。