圧迫される行財政

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多摩ニュータウン開発を受け入れた多摩町には、近代的都市への発展が期待されたが、同時に目の前には深刻な財政問題が待ち受けていた。多摩町では昭和四十一年度に約二億五〇〇〇万円の予算が組まれたが、予想を上まわる人口増により、急きょ、給食センター、保育園、新校舎を建設せざるをえなくなり、九回の補正予算を経て、最終的には三億円をうわまわる歳出決算となった。増加分の財源のうち二〇〇〇万円は起債に依存した(『昭和四十一年度事務報告書』)。そんな財政状況だったにもかかわらず、多摩ニュータウン建設が進むと、多摩町は小中学校だけでも一八校を約二〇億円で買い取らなければならず、小さな町の財政規模ではとうていまかないきれないことが予想された。
 昭和四十二年(一九六七)八月二十二日に、美濃部新都知事が多摩ニュータウン建設用地を中心とする南多摩地域の行政視察を行い、八王子で都民との対話集会を開くことになった。美濃部はこの年の四月の都知事選に革新系候補として出馬し、初当選したばかりであった。美濃部は就任したころ「ニュータウンをやめられるのならばやめたい」と消極的であったと言われており、事実、この昭和四十二年度の多摩ニュータウン関連予算は半年間執行をストップされて事業が中断し、都庁内には「計画放棄論、縮小論、市街地再開発への転向論がでた」ほどであった(『東京新聞』昭和四十四年一月六日付)。
 視察に先だって八月十九日、関係四市町からなる南多摩ニュータウン協議会は多摩町役場で話し合い、知事への要望事項をまとめ(『朝日新聞』昭和四十二年八月二十日)、地元側の要望事項八点からなる要望書を視察の当日に都知事に手渡した。要望の第一は「知事の本計画に対する基本的な考え方および今後の方針等」を具体的に示すこと、第二には本計画の事業実施を推進することが掲げられた。ここまで来て中止されるのは地元としてはたまらないことであった。そして、第三に要望されたのが、地元自治体にとってもっとも緊要だった財政問題であり、「ニュータウン事業の実施に伴い生じる地元市町の財政の圧迫を除去」するよう「特別なる施策を講じられたい」と主張されている。ニュータウン区域内に建設される義務教育施設や上下水道、環境衛生施設などの公益施設は「地元市町の固有の義務として有償譲渡され、これ等の維持管理に当る事は必然であるものと考えられる」。しかし、「住宅施設等の固定資産税の課税には制限があり」、また「公営住宅の入居者は、収入の制限があり、一般に担税力が低いと思考される」ため、「地元市町の財政は逼迫する」と憂慮される。したがって、「実情を詳細に調査の上、地元市町の財政を圧迫せざる様、充分な対策を講ぜられ度い」というのである(「東京都知事南多摩地区視察に際し多摩ニュータウン事業に関する要望」多摩市議会蔵)。
 当日、美濃部知事は「地元市町はむしろ被害者だ。財政的に重い負担がかかるというのではおかしいので考える」との趣旨の発言をした。これまで東京都に町の負担を減らすよう再三要請してきた地元市町は、新知事が全市町長の前で「はっきりと約束してくれた」と大いに期待をかけた。また、その日の午後に八王子市で開かれた「都民と都政を結ぶ集い」では三多摩格差の是正に取り組むことや多摩ニュータウン開発ではゴルフ場も買収の対象にすることなどを参加した南多摩地域の五市町長と約五〇〇人の都民の前で言明した(『朝日新聞』昭和四十二年八月二十三日、二十七日付)。この視察は、都知事が多摩ニュータウン事業を責任をもって推進するようになる契機となった。

図2―5―14 美濃部都知事の対話集会を報じた記事

 美濃部都知事は、昭和四十三年度の多摩ニュータウン関連当初予算を抑制して、関係部局に徹底的な再検討を要求した(『東京新聞』昭和四十四年一月六日付)。同時に、知事の私的諮問機関である東京問題専門委員会(代表委員・都留重人)に助言を求めた。同委員会は昭和四十三年十月二十五日に、その第二助言「多摩ニュータウンについて」(資四―314)を発表し「多摩ニュータウン開発の事業を、あらためてその気になってやりとげる必要がある」と知事に事業の推進をうながしている。その意義として「三多摩地区較差解消のための一つの契機にする」ことを強く打ち出した。この助言のなかでは、計画収容人口の規模を四〇~四五万人に増やすこと、ゴルフ場も開発用地に編入すること、多摩ニュータウン地域に単一の公共団体を創設することなどの主張が注目されたが、財政問題については「もっとも財政需要が集中する入居に引続く数か年には、その税収には多くを期待できないだろうから、さしあたりは関係市町の負担分担額についても、特別の配慮が必要」と指摘されている。