多摩ニュータウン建設が進むなかで、多摩町にとって財政問題とならぶもうひとつの大きな政策課題は行政界一元化をいかに実現するかということであった。さきに少しふれたが、昭和四十三年十月に東京問題専門委員会は第二助言で「多摩ニュータウン地域を包摂する新しい単一の公共団体を創設する」ために、「準備にできるだけ早く着手すべきである」ことを都知事に提言していた。
昭和四十五年(一九七〇)の秋に東京都は多摩町と第一七住区(愛宕・鹿島・和田・東寺方)建設工事についての協議(二六条協議)に入った。第一七住区は多摩町と八王子市(旧由木村)の境界にまたがった地域であるため、このときの行政区画をどうするかという問題が浮上してきた。多摩町では、目の前で開発が進み、公共施設の整備等の課題が差し迫っているなか、この問題にメドがつかないと行政体としての将来像を描けないという悩みをかかえていた。九月十四日には多摩町議会が全員協議会を開催し、この問題を検討して「可及的速やかにこれが解決を図るため、関係方面と連係を密とするとともに、地域住民の理解と協力を求めつつ行政区域の統合再編を行い、新しい都市の建設を期することを決」めた(横倉真吉「多摩ニュータウンと行政区域」『議会だより』昭和四十五年十一月二十日付)。また、十一月十四日に開かれた全員協議会では、一七住区の住宅建設について「基本的な問題である行政区画について、何ら解決の方途が講ぜられない現在、協議には応じられない」との強い姿勢を確認した(『議会だより』昭和四十八年八月十一日付)。
全員協議会の議論をふまえて、横倉真吉議長は個人論文を著し、そこで、行政界を一元化しないままニュータウン建設を進めるときに予想される問題点を列挙し、開発工事が進められているのに「行政区画の問題につき具体的な施策が決定していないのは誠に遺憾といわざるを得ない」、「国及び都当局並びに関係自治体は地域住民の相互理解と信頼を深め勇断をもって善処せられることを期待するものである」と主張している(横倉真吉「多摩ニュータウンと行政区域」『議会だより』昭和四十五年十一月二十日付)。町長と町議会は、十一月十七日から、十二月七日にかけて、三多摩地区選出の衆議院議員、自治大臣、都知事に陳情を行い、都議会議員、関係市町の首長、議長、議員に資料を送付し、この問題を広くうったえようとした(「行政区画問題に対する運動経過及び資料」多摩市議会蔵)。
『毎日新聞』は、このとき町議会は一元化の問題にメドがたたなければ、建設への同意を拒否するよう町長に勧告したと報じている。また、多摩町議会には行政一元化問題について「八王子市内分のニュータウン地区を多摩町に編入することで突破口をつくろう」との意向が強いのに対して、他の市町は「多摩町の独走を許すな」と反発しているとも伝えている(『毎日新聞』昭和四十五年十一月十八日付)。
その後、東京都と多摩町で協議が続けられ、十二月に多摩町が、行政界一元化の問題について東京都が積極的に解決を図ることと、ニュータウン事業にともなう財政負担を東京都が誠意をもって補償することの二点を条件に、一七住区に限って建設着工を認めるとの妥協案を示し(『読売新聞』昭和四十五年十二月八日付)、翌年四月、東京都との間で合意をみた。のちに昭和五十七年になって、八王子市域の鹿島・松が谷団地の住民団体が、多摩市への編入をもとめて多摩市議会と八王子市議会に陳情を行うなどの運動を起こした。両議会で審議が行われたが、既存地域の住民からの反対などもあり実現には至っていない。