市制促進の動き

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多摩町議会では、昭和四十五年(一九七〇)九月の全員協議会において、十月一日付の国勢調査で人口が三万人を超えることがほぼ確実であることをふまえて、昭和四十六年の秋頃までには市制を施行すべきであることを確認した。翌四十六年二月の第一回臨時会で、「町長は、『三万人市制特例法』を適用して、市制を施行したい旨の意思表示を行い、町議会もこれを了承した」(資四―327)。
 多摩町役場では、この年の三月十日に市制施行準備事務局を発足させて、市制施行のための調査研究を開始した。また、三月三十一日発行の「たま広報」を「市制施行準備特集号」とし、「市制に対する決意ならびに行政上の差異を周知する」ことをはかった。この号にはアンケートハガキがつけられ、市制施行に賛成か・反対か、市の名称について意見や要望(自由記入)を簡単に記入して、投函できるよう工夫されていた。結果は九六パーセントが市制施行に賛成であった。

図2―5―15 『たま広報』の市制施行準備特集号

 これに続いて、四月六日から六月十日までに、市制施行に関する公聴会が八回開かれ、のべ一七四人の住民が参加した。そこでは「大多数の者が賛成の態度を示した」と記されている。また、多摩ニュータウン開発に関連して「ニュータウンだけで行政体をつくるのか、現在のままでいくのか」という質問や、「現在の多摩町の行政区画のままで市制を施行するなら、多摩地区の南ということで『南多摩市』として、ニュータウンを含めて合併した時点で『多摩市』としたらどうか」という合併を期待する意見、「市になった場合、ニュータウンの区域内にある八王子市・町田市・稲城町の一部も『多摩』に入れたらどうか」と、多摩を中心としたニュータウン区域の行政一元化を期待する意見なども寄せられた(資四―327)。そして、同年七月一日、多摩町議会は、第二回定例会で市制施行促進に関する決議を採択した(資四―326)。このような手続きを経た後に、九月二十七日、多摩町議会第三回定例会に第九〇号議案「多摩町を市とすることについて」が上程され、全員一致で可決された。
 昭和四十六年(一九七一)年十一月一日、多摩市制が施行された。同じ日に稲城市制も施行されている。多摩町の町制施行期間は、昭和三十九年四月一日から数えて、わずか七年四か月であった。これは、三鷹が昭和二十五年十一月三日に十年八か月弱の町制施行期間を経て市制に移行した記録を抜き、東京都の自治体のなかでは最短の町制期となった。村から一足飛びに都市へと姿を変えたわけである。
 少し振り返ってみると、昭和二十八年(一九五三)十月に町村合併促進法が施行されて以来、多摩村の周辺に位置する町村は、八王子、町田、日野の各市へと順次組み入れられていったのであるが、多摩村と稲城村だけが、町制期を経て、同時に、それぞれ単独で市に昇格した。これにともない、全ての町村が市制に移行したため、南多摩郡の名称は姿を消した。