団地住民の特徴とその要求

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新生活への期待をいだいて多摩ニュータウンに転入してきた人々は、比較的若い少人数世帯が中心であった。昭和四十七年二月に五五二五戸を対象に行われた調査(『多摩ニュータウン居住者の住生活と意識に関する報告書』)によれば、世帯主の平均年齢は三二・六歳(ピークは三〇歳)、妻は二九・二歳(同二八歳)で、家族数は平均三・一二人となっていた。六七パーセントが地方出身者であった。共働きをしている夫婦は平均一八・七パーセントと低い。通勤時間は五三パーセントが一時間以上となっており、公団住宅では「七五から九〇分」と答えた人が最も多かった。夫の通勤負担に目をつぶってでも、子育てのためによりよい住環境を求めてやって来た人々が多かったことであろう。生活意識をみると、親交よりもプライバシーを重んじる人が五二パーセント、利便性よりも自然環境を選ぶ人が七〇パーセントとなっていた。都心周辺部の過密による騒音や公害への不安などからのがれようと多摩ニュータウンを選んだ人も多かったものと思われる(資四―377)。

図2―5―21 真新しい団地群

 しかし、じっさいに生活がはじまってみると、住民たちは予想を超えた不便さに悩まされることになった。永山四丁目の3LDKの公団住宅に第一次入居したある転入者の日記を紹介しておこう。
……一から十まで結構づくめの計画をきかされ、大きな夢と希望をもって入居したのである。
 ところが、入居してびっくり。まず買い物と交通の不便さに悩まされた。商店は五、六軒がオープンしているだけ。ショッピングセンターなどのできるのは数年先の話。道路も駅も、駅へ通じる道すら未完成。ましてや鉄道乗り入れなどは、まだ用地買収の段階で、いつになるやら当事者ですら見当がつかない状態だという。
 会社への通勤は片道二時間以上もかかる。買い物は新宿、府中へ行って一か月分をどっさり仕入れてこなければならない始末。……公園にいたっては、一番最後に、ほんの申しわけ程度に格好をつけたというのが実態。芝生や植木は、入居してしまってからボチボチ工事が始まる。その間、赤土がほこりをまいてとびまわっているありさまであった。

 この人の場合には、昭和四十四年、四十五年に子どもが産まれて、世田谷区の二間のアパートが手狭になったために広い居住空間を求めて多摩ニュータウンを選んでいる。しかし、入居してみて周辺も含めた住環境は未整備であることを知った。「未完成の住宅にとりあえず入居させ、戸数のみ消化して実績にしたとしか思えないやり口だ」。このような声が広がり、自治会結成の呼びかけが始まった(沢目雅昭の日記、岡巧『これぞ人間試験場である』より)。