医療施設整備の進展

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昭和四十年代中頃より、多摩ニュータウンへの入居の開始とともに、多摩市の人口は急激に伸びていった。それとともに住民から市に対し、様々な要望が寄せられるようになり、とりわけ医療機関不足から医療施設の整備・充実を求める声が常に強かった(資四―395)。ニュータウン入居時に公益的施設として内科、歯科などの診療所も開業したが、大半の医師は通いで診療にあたっているため、夜間は「無医村」同然であった(『朝日新聞』昭和四十七年十月四日付)。そのため、ニュータウン入居当初から、夜間診療を行う総合病院の早期開設が強く要望されていた。
 昭和四十八年(一九七三)二月、東京都と東京都医師会との間で協議が重ねられた結果、多摩ニュータウン永山地区の日本住宅公団(現住宅・都市整備公団)用地に、待望の市内初の総合病院が建設されることの合意が成立した(『朝日新聞』昭和四十八年二月十七日付)。昭和五十二年七月、日本医科大学付属多摩永山病院が開設され、診療を開始した。多摩永山病院では、開業医などの紹介で外来患者を受け入れる「二次診療」体制を採用した。また、とくに重症の救急患者を取り扱う、二十四時間の救急診療体制を整えていた(『毎日新聞』昭和五十二年七月二十一日付)。
 昭和四十九年(一九七四)十二月、多摩市は市民の健康を管理し、健康増進を進める施設として、市立健康センターを市役所に隣接し開設した。昭和五十五年八月には多摩市医師会の協力を得て、市民が診療を受けられるよう多摩市休日準夜診療所(現在の休日・平日準夜診療所)を開設させている。市立健康センターは、昭和六十三年四月に当時の関戸・一ノ宮地区複合施設に併設して移転し、その機能の充実が図られている。また同時に、多摩市休日準夜診療所も同施設内に移転し、平成二年(一九九〇)四月から土曜日の、平成三年四月からは平日もそれぞれ準夜診療を開始している。
 昭和五十二年(一九七七)五月には、人口急増に対応し、保健所利用の地理的不便さを解消するため、東京都日野保健所永山保健相談所が開設され、業務を開始した。永山保健相談所は、多摩ニュータウン人口急増にともない、平成二年(一九九〇)八月、多摩・稲城市を管轄する東京都多摩保健所として新たに開設され、業務を開始している。
 昭和五十八年十月、東京都は、「マイタウン東京’83-東京都総合実施計画」を公表する。そのなかで、多摩地域南部(八王子・日野・町田・多摩・稲城市)の中核病院となる地域病院計画が示された。当時、八王子・多摩市には公立病院がなかったため、両市は互いに誘致運動を繰り広げた(『読売新聞』昭和六十年一月十九日付)。多摩市は、多摩ニュータウン建設当初から都立病院誘致を要望し、昭和五十四年九月、都に対し「都立病院建設に関する要望意見書」を提出するなど、積極的に誘致活動を続けていた(資四―392・396)。昭和六十三年四月、ニュータウン落合地区の住宅・都市整備公団の病院用地に建設されることが決定した(『朝日新聞』昭和六十三年四月六日付)。また同時に、都の精神保健施設の建設も決定し、平成四年(一九九二)七月、ニュータウン落合地区に東京都立多摩総合精神保健センターが開設されている。
 昭和六十三年(一九八八)九月、多摩市議会の市長答弁において、千代田区にある「社会福祉法人三井記念病院」が、多摩ニュータウンへの移転計画を進めていること、市として移転を歓迎する意向であることが明らかにされた。昭和六十二年七月、同病院は施設の老朽化、施設拡充などを理由に東京都に移転の申請書を提出したが、都は、都全体の医療計画に合致しないことから申請書を受理しなかった。また、多摩市医師会は、東京都が建設する総合病院の充実をはかるべきとして断固反対の姿勢であった(『朝日新聞』昭和六十三年九月七日付)。三井記念病院は、移転申請をめぐり東京都と全面対決してきたが、平成元年(一九八九)二月、東京都知事にニュータウンへの移転の「白紙撤回」を申し入れ、三井病院側が断念するかたちで幕が閉じられた(『朝日新聞』平成元年二月二日付)。
 平成五年(一九九三)七月、多摩南部地域病院が第一次開設され、翌六年五月に全面的に開設された。同病院は、東京都が建設し、都と東京都医師会が設立した「東京都保健医療公社」によって運営される「公設民営方式」の総合病院である。病院運営では、入院を必要とする医療を中心に、地元医療機関からの「紹介予約制」や、地元医療機関を紹介する「逆紹介制」などを採用し、地域医療機関との連携をはかっている。また、多摩地域南部に不足している救急医療とがん医療を重点医療として取り組んでいる(東京都保健医療公社多摩南部地域病院『事業概要』)。

図2―6―12 多摩南部地域病院

 多摩市および多摩地域南部の医療機関整備は、多摩ニュータウン初入居の頃と比べると格段に進展したが、全国的な少子化傾向やとくにニュータウンからの若年層の転出など、やがて多摩市も高齢型社会へと移行することが予想され、市民の医療充実への要望はさらに強まるものとみられている。