現代の廃棄物処理対策

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昭和四十八年(一九七三)四月、多摩ニュータウン区域および多摩市全域と八王子、町田両市の一部地域を処理区域とする多摩清掃工場が操業を開始した。昭和五十一年七月、「不燃物残渣」の埋め立て地の延命化のため不燃物処理施設が、また、増え続けるごみ処理に対処するため、昭和六十二年二月には粗大ごみ処理施設が同清掃工場内に設置され、それぞれ稼働を開始している。この不燃物および粗大ごみ処理施設ではごみの減量化のため、鉄類、アルミ類、ビン類などが分別されて、再資源化が図られている。
 ごみ処理施設の整備は進められていったが、多摩ニュータウン入居の進展による人口急増、生活様式の変容、消費型社会への移行などの要因で、多摩清掃工場で処理されるごみの総量は、操業以来年々増加傾向にあった。ごみ焼却後に発生する「焼却残渣」や、不燃物残渣を埋め立て処理する最終処分場確保も大きな問題であった。そこで多摩市は、増え続けるごみ問題の解決の方法として、ごみの減量やリサイクルなどの対策を積極的に推進していった。

図2―6―16 市内のごみ排出量推移
『統計たま』より作成。
注)昭和59年度以降の有害性ごみ(15~28t)は値が小さすぎるので省略した。

 多摩市は、ごみの減量とリサイクルを市民に呼びかけるため、昭和五十六年(一九八一)四月、古新聞、雑誌、空き缶・空きビンなどの資源ごみ集団回収に対し、市から補助金を出す「資源ごみ集団回収補助金制度」を設けた。平成三年(一九九一)十月には市内約六〇か所の集会所に「資源ごみ分別収集ステーション」を設置し、昭和五十九年度から開始していた有害性ごみ(乾電池・蛍光灯など)の分別収集に加えて、ビン、缶、牛乳パックの分別収集を試行的に始めている。平成五年十月からは、市役所、小・中学校などの市の公共施設六六か所に「リサイクルボックス(資源ごみ回収ボックス)」を常設し、本格的な分別回収を始めた。リサイクルボックスでは新たにペットボトルも回収している。その後、資源ごみの回収量を高めるため、資源ごみ分別収集ステーション、リサイクルボックスとも、設置場所の増設が図られている。平成七年十月からは、新聞、雑誌、ダンボール、古布の回収も始められた。
 平成六年(一九九四)四月には、ごみの処理に重点を置いた「多摩市廃棄物の処理及び清掃に関する条例」を全面改正して、「多摩市廃棄物の処理及び再利用の促進に関する条例」を施行した。改正された条例では、ごみの減量およびリサイクルの促進に主眼を置き、深刻化するごみ問題への対応を図っている。
 こうした対策に、市民側も、ごみ問題に対し主体的に関心を持つようになり、積極的にリサイクル活動へ参加するようになった。「多摩生活学校」では、市側も同席する「スーパーと消費者との対話集会」を定期的に開催し、ごみの減量などについて話し合う場を持ち続けている。その結果、スーパー、酒屋による空ビンの引き取りや野菜類の不燃物パックの廃止などの措置が行われるようになった。平成五年(一九九三)四月からは「多摩市リサイクル協力店制度」が設けられ、簡易包装の推進、トレイの回収などに、市とスーパーなどが協力して取り組むことになった。
 多摩市は、市内の一般家庭でもごみの減量化に取り組んでもらうため、平成二年(一九九〇)四月から「生ごみ堆肥化容器(コンポスト)購入補助金制度」を実施した。また、平成四年六月には「家庭用ごみ焼却炉購入補助金制度」を開始したが、人体に有害なダイオキシン発生の危険性が叫ばれるようになり、平成九年十一月に、市はその制度を廃止している。
 多摩清掃工場は昭和四十八年(一九七三)の操業以来、多摩市が暫定的に管理運営してきたが、平成五年(一九九三)四月、一部事務組合「多摩ニュータウン環境組合」が多摩、八王子、町田の三市共同で設立され、管理運営することとなった。
 ごみの減量、再資源化の対策が推進されていく一方、最終処分場確保の対策も急がれた。多摩ニュータウン開発以降、多摩市では市街化が急激に進行し、新たな最終処分場の確保が非常に困難になった。最終処分場確保の問題は、多摩市だけに限らず、市街化が進む三多摩地域の市町村が共通に抱える難問であった。
 東京都の働きかけで、三多摩地域全体で共同の最終処分場確保が検討され始めた。その結果、昭和五十五年(一九八〇)十一月、多摩市を含む二五市二町で構成する、一部事務組合「東京都三多摩地域廃棄物広域処分組合」が結成された。広域処分組合は、最終処分場として西多摩郡日の出町を候補地として選び、昭和五十七年七月、「谷戸沢最終処分場」建設工事を始め、五十九年四月、第一期工事が完了すると同時に埋め立て処分を開始した。
 平成三年(一九九一)、谷戸沢処分場は、平成八年度末に埋め立てを終了する予定だったので、新たな処分場の候補地が日の出町内に選定された。平成四年三月、谷戸沢処分場から、汚染された水が漏れ出している可能性があるという事態が持ち上がり、新たな処分場建設反対をとなえる住民団体から抗議運動が起こった。双方が対立した状況が続くなか、平成八年三月、「二ツ塚最終処分場」建設が本格的に着手され、同十年一月からごみの埋め立てが始められた。
 多摩清掃工場では施設の老朽化のため、一日最大四〇〇トンのごみ処理が可能な新しいごみ焼却施設が整備され、平成十年(一九九八)四月から操業を始めている。計画では、粗大ごみ処理施設も増設する予定である。多摩市は粗大ごみの再利用とリサイクル意識を高めるため、暫定的に桜ヶ丘再利用センターを開設し、平成七年二月からリサイクル品の展示公開を始めている。また、平成十年十月、資源ごみを一時保管・分別する施設として、資源化センター建設に着手している。

図2―6―17 新設された多摩清掃工場(平成11年3月)

 今後も、現状や将来の予測に合わせて、平成四年(一九九二)三月に策定した「多摩市一般廃棄物処理基本計画」を基本に、ごみ問題に柔軟に対応していくことになっている。