公園整備と緑地保全

927 ~ 930
多摩市がまだ村の頃、多摩村一帯は緑豊かな農村であった。昭和三十年代後半から、多摩村は都心方面への通勤通学が便利なため、とくに聖蹟桜ヶ丘駅周辺で急速に市街化が進行した。同時に交通量が増加していった。そのため、聖蹟桜ヶ丘駅周辺地域では子どもたちの遊び場が減少したため、その確保が必要となっていた。しかしながら、市街化の進行で地価が上昇するなど、用地取得が困難になった。
 一方、多摩ニュータウン開発では、公園緑地整備について、昭和四十五年(一九七〇)三月、「多摩ニュータウン公園緑地計画」が策定された。ニュータウン各地区ごとにそれぞれ「街区公園」が数か所、「近隣公園」が原則的に二か所設置され、二、三地区に「地区公園」が一か所、多摩センター地区には「総合公園」が整備される計画であった。昭和四十八年四月、ニュータウン区域に一三か所、既存地区に一か所の市立公園がいっせいに開園した。それまで児童遊園しかなかった多摩市に初めての正式な公園の誕生であった(『たま広報』九一号 昭和四十八年三月一日付・『日本経済新聞』昭和四十八年三月十四日付)。
 多摩ニュータウンの公園整備が開発計画に組み込まれているのに比べ、既存地区の公園整備は、市街化が進行したため容易ではなかった。それでも、昭和四十八年(一九七三)四月、多摩中学校に隣接して、野球場をそなえた関戸公園が、翌四十九年四月には、多摩川河川敷に建設された一ノ宮公園がそれぞれ開園した。昭和五十四年四月には、子どもが正しい交通ルールを覚え、交通事故を防止するため、大栗川下流部に市立交通公園が開園している。連光寺地区に、市内最大規模の都立桜ヶ丘公園が開園するのは昭和五十九年六月のことである。
 昭和四十九年(一九七四)十月、多摩ニュータウン計画の見直しが行われ、その後のニュータウン開発の基本方針となる「多摩ニュータウンにおける住宅の建設と地元市の行財政に関する要綱」が制定された。この要綱では、公園緑地に関して、「快適な生活環境をつくるため、緑とオープンスペースは、住区面積の三〇パーセント以上を確保する」と定められ、緑地などを重視する見直しが行われた(資四―334)。
 貝取、豊ヶ丘地区の南部では、公園緑地と地区内の各施設とが歩行者専用道路によって結ばれるよう街づくりされている。落合、鶴牧地区では、それをさらに発展させ、オープンスペースを街づくりの中心に置き、奈良原公園など四つの近隣公園を環状に連結させ、住宅配置は、オープンスペースとの景観的調和をはかっている。貝取、豊ヶ丘地区の北部では、自然地形を残した造成手法を採用している。傾斜を活かして住宅を建設し、その場に生育している草木などの緑と調和した街並みをつくりだしている。
 昭和四十九年(一九七四)十二月に多摩ニュータウンの住宅建設が再開されて以来、ニュータウンの公園が入居に合わせて次々と整備されていった。昭和五十六年四月、ニュータウンの地区公園である一本杉公園が南野地区に部分開園し、翌年四月には同公園内に「甲子園なみの広さをもつ本格的な野球場」が開場している(資四―386)。昭和五十七年三月、多摩東公園が運動公園として開園し、六十一年五月には、市立の陸上競技場と武道館が同公園内に開設されている(資四―388)。昭和六十二年十月には、ニュータウンの総合公園である多摩中央公園が一部開園され、同時に、公園内に多摩市の歴史を紹介する常設展示室や、コンサートなどを開催する大ホールなどを有する複合文化施設「パルテノン多摩」も開館している。また、多摩中央公園内には、市民の緑の相談所として、グリーンライブセンターが平成二年(一九九〇)四月に開設されている。

図2―6―18 工事が進められる多摩中央公園周辺
(昭和62年頃)

 多摩ニュータウンの住宅建設とともに公園整備が進む一方、ニュータウン住民を中心に、手つかずの自然緑地の保存を要望する声が上がるようになった。昭和四十九年(一九七四)十二月、貝取、豊ヶ丘地区北部丘陵の自然緑地保存が市に対し要望された。その場所は昭和六十二年三月、丘陵のまま自然の緑地が保存された豊ヶ丘北公園として開設された(資四―416)。
 昭和五十八年(一九八三)十一月、住宅・都市整備公団により、通称「貝取山」の宅地造成が着工され、雑木林の伐採が始められた。自然緑地保存を要望する声の高まりから、住民側より猛反発の声が起きたが、住宅・都市整備公団側は計画通り住宅を建設する予定であった(『朝日新聞』昭和五十八年十一月二十四日、二十五日付)。これに対し、住民側を代表する「貝取山の緑を守る会」は、貝取山は多摩ニュータウンで「唯一、山としての原型をとどめ、雑木林が茂っていた」場所であるとして、伐採中止や計画の見直しを求める抗議の陳情書を市議会に提出している(資四―417)。結局、貝取山は、昭和六十三年三月、貝取山緑地として住宅と共存する形で雑木林の保存がはかられた。
 公園緑地整備にくわえて、大栗川や乞田川などの水の流れに身近に親しめるよう、昭和六十三年度に「水辺空間利用計画」が策定された。平成二年(一九九〇)八月から中沢池公園と、関戸地区を流下する大川の大河原公園南側から市民プールの間をそれぞれ親水化する整備事業が開始された。中沢池公園では、水路の改修や菖蒲園の拡張などが行われ、親水整備事業は平成三年度に完了している(『たま広報』五六八号、六二〇号 平成二年八月五日、四年六月二十日)。平成十年度末現在、大川親水公園、瓜生せせらぎ散歩道などが完成している。