耕地面積と農家数の減少

942 ~ 945
昭和「三十五年ごろから町内の田や畑は、目に見えて減ってきた」(『毎日新聞』昭和四十二年五月十六日付)。これは衆目の一致するところであった。多摩市域の農業はニュータウン開発がなされる前から、量的には縮小する傾向を示していた。数値の上で盛り返すことはあったが、一時的な現象にすぎなかった。耕地は住宅地の増加と反比例するように減少してきた。これは、農家数・農家人口にも共通することであった。
 多摩市域の耕地面積が長期低落傾向にあることは、表2―6―5の「耕地面積の推移」に明らかである(各年とも調査日は二月一日である)。昭和三十年を一〇〇とすると、昭和三十五年は九一、四十年は七〇、四十五年は四四、五十年は二四、五十五年と六十年は一七、平成二年は一六、七年は一三ということになる。昭和三十五年から五十年までの一五年間で、七六ポイントほどの減少をみた。約三三〇ヘクタールもの農地が、住宅地などに転用されたということである。昭和四十九年(一九七四)が前年よりも一五・五三ヘクタールを増やすことができたのは、昭和四十八年十二月一日に多摩市と町田市の境界変更が施行され、小野路地区が編入されたからである。しかし、五十年には六六・一七ヘクタールも減少してしまう。休止していたニュータウン建設工事が昭和四十九年十二月に再開されたことと営農環境の悪化が、この急減の要因である。
表2―6―5 耕地面積の推移(属人調査)
耕地面積総数 樹園地
昭和25年 432.63 177.94 236.39 18.30
29  432.65 177.83 233.50 21.32
30  443.86 179.35 244.31 20.20
31  422.27 169.43 233.93 18.91
32  415.05 166.61 230.31 18.13
33  409.18 166.82 223.00 19.36
34  400.78 164.46 218.37 17.95
35  402.54 164.50 223.22 14.82
36  386.14 161.80 208.74 15.60
37  380.38 160.82 205.60 13.96
38  344.96 150.15 181.51 13.30
39  340.57 143.49 183.58 13.50
ha ha ha ha
40  309.70 131.45 164.62 13.63
41  296.20 124.41 158.72 13.07
42  290.16 119.09 157.92 13.15
43  312.78 112.25 187.28 13.25
44  236.44 106.07 120.15 10.22
45  193.32 88.48 97.56 7.28
48  157.73 74.10 73.72 9.91
49  173.26 78.58 80.99 13.69
50  107.09 30.67 62.76 13.66
55  75.78 22.03 39.79 13.96
60  73.67 12.70 38.77 22.20
平成2  72.35 11.49 39.67 21.19
7  55.59 7.76 33.41 14.42
『農業センサス』『東京都統計年鑑』『統計たま』より作成。

 五年きざみでみるならば、急減期はニュータウンのための土地買収が本格化する昭和四十年から四十五年の間である。昭和五十年から五十五年の間は減少傾向が鈍化した時期であり、五十五年から平成二年までは減少に歯止めがかかった「横ばい」の一〇年ということができよう。しかしながら、平成二年から七年の間には、耕地面積は一六・七六ヘクタールも減った。一九八〇年代(昭和五十五年から平成元年)は農地転用が抑制された時期、一九九〇年代前半(平成二年から平成七年)は農地転用が再度活発になった時期ということができるのではなかろうか。
 次に、表2―6―6の「農家数と農家人口の推移」と表2―6―7の「平成二年と七年の総世帯数・農家数」から、農家数の推移をみてみたい。昭和三十年を一〇〇とすると、三十五年は九一、四十年は八四、四十五年は六六、五十年は四六、五十五年は三四、六十年は三六、平成二年は二九、七年は二三である。農家人口も同様にみてみると、昭和三十五年は八八、四十年は七七、四十五年は五七、五十年は三七、五十五年は二五、六十年は二六、平成二年は二〇、七年は一五となる。農家数よりも農家人口の方が「減少の速度」が速い。一戸あたりの平均家族員総数も、昭和三十年は六・四人、三十五年は六・二人、四十年は五・八人、四十五年は五・五人、五十年は五・一人、五十五年は四・七人、六十年は四・六人、平成二年は四・五人、七年は四・三人、と少なくなってきている。昭和六十年は農家数も農家人口も五十五年よりは多いのであるが、一戸あたりの平均家族員総数でみるとわずかではあるが小さい値を示している。
表2―6―6 農家数と農家人口の推移
農家数 農家人口
総数 専業農家 兼業農家 総数
農業が主 兼業が主
昭和25年 747 410 173 164 4,745
28  689 238 318 133 4,488 2,269 2,219
29  687 300 239 148 4,427 2,221 2,206
30  699 207 305 187 4,476 2,249 2,227
31  667 249 239 179 4,206 2,135 2,071
32  663 205 225 233 4,192 2,133 2,059
33  657 276 187 194 3,922 1,977 1,945
34  652 208 164 280 4,039 2,047 1,992
35  636 139 207 290 3,954 2,006 1,948
36  634 145 215 274 3,858 1,944 1,914
37  627 124 285 218 3,771 1,890 1,881
38  619 116 314 189 3,650 1,819 1,831
39  598 107 272 219 3,530 1,767 1,763
40  590 117 191 282 3,437 1,718 1,719
41  578 107 144 327 3,336 1,676 1,660
42  564 85 157 322 3,206 1,610 1,596
43  549 69 165 315 3,150 1,569 1,581
44  523 64 141 318 2,966 1,489 1,477
45  462 74 96 292 2,543 1,263 1,280
48  388 39 58 291 2,028 1,042 986
49  427 30 36 361 2,241 1,148 1,093
50  321 11 45 265 1,634 823 811
55  239 8 22 209 1,126 575 551
60  249 10 16 223 1,155 603 552
平成2  203 1 202 917 495 422
 
農家数 農家人口
総数 販売農家 自給的農家 総数
小計 主業農家 準主業農家 副業農家
平成7 160戸 56戸 1戸 30戸 25戸 104戸 685人 353人 332人
『農業センサス』『東京都統計年鑑』『統計たま』『南多摩の農業統計』『南多摩の市別農業累年統計―昭和45年~昭和62年―』より作成。
注)1 昭和28年は1月20日付、他の年次は2月1日付の数値である。
  2 昭和30年4月1日、下川原地区が府中市に編入された。また、昭和48年12月1日、小野路地区が多摩市に編入された。
  3 昭和49年12月、休止されていたニュータウン建設工事が再開された。
  4 平成2年2月1日付の販売農家は84戸で、そのうち、専業農家は該当なし、第1種兼業農家(農業を主とする兼業農家)は1戸、第2種兼業農家(兼業を主とする兼業農家)は83戸であった。自給的農家は119戸となっていた。

表2―6―7 平成2年と7年の総世帯数・農家数
平成2年 平成7年
非農家を含む総世帯数 49,920 54,756
総農家数 203 160
自給的農家 119 104
販売農家 例外規定農家 1
0.3~0.5ha 38 20
0.5~1.0ha 33 24
1.0~1.5ha 9 9
1.5~2.0ha 3 2
2.0~2.5ha 1
2.5ha以上
小計 84 56
関東農政局南多摩統計情報出張所『南多摩の農業統計』と『資料編四』より作成。

 平成二年の農家率(農家数を非農家を含む総世帯数で除したもの)は〇・四一パーセント、七年は〇・二九パーセントであった。多摩市の非農家を含む総世帯数や総人口からすると、現在の農家数も農家人口も圧倒的に小さな値である。住宅地ばかりになった現在では、「純農村」「都市遠郊農村」と呼ばれた時代が嘘であったかのように思える。