また、昭和四十八年からは多摩市議会も、さきにもふれたように職住接近の実現を求めて、建設大臣や都知事に意見書を提出するなどの働きかけを行ってきた。これがきっかけとなって、南多摩開発計画会議で議論され、日本住宅公団で検討がすすめられ、多摩市でも昭和五十三年に多摩市業務施設委員会を組織して、多摩ニュータウン内にいかに業務施設を確保していくか検討がすすめられた(市議会会議録)。
その結果、「新住宅市街地開発法に基づいて建設される『ニュータウン』の中に、全国で初めて、生産的業種も立地可能な『サービスインダストリー地区』がつくられることに」なった。多摩ニュータウン計画に当初から組み込まれていた駅前の商業的施設だけでは、「主婦層のパート的な労働力など、豊富な市内の労働力を十分に満たすことは無理」であるし、「多摩市が経済的、財政的に自立していくためにも、商業施設以外の業務施設が必要」だったからである。そこで、多摩ニュータウン内に、多少の騒音や振動を発生する軽工業を立地させられる場所がないか検討され、その結果、鎌倉街道と尾根幹線の交差点周辺の地区が選定された(資四―864)。地域住民の日常生活を豊かにできる生活関連業種を中心とした無公害の事業所の誘致をはかり、同時に地元の雇用の増進をねらった措置であった。また、この地区に業務施設を誘致することによって「ニュータウンのサービス水準を向上させ、昼間の都市活動を高め、多摩ニュータウンの自立性を確立し、他地域との流動性を強化する」ことも目指されていた(住宅・都市整備公団南多摩開発局『特別業務地区のご案内』)。
この地区は都市計画用途地域としては、当時、住居地域に指定されており、主として住居の環境を保護する地域であったため、工場などの進出条件があまりよくなかった。このため多摩市では、建築基準法第四九条の規定にもとづき多摩市特別業務地区建築条例(昭和五十六年五月二十七日施行)を定めて、「特別業務地区内の建築物の制限の緩和」をはかった。建築できる建築物は表2―6―9の通りである。条例で法の定める制限をより緩和するという措置はユニークである。また、建築物の敷地面積を五〇〇平方メートル以上にかぎっているので、それ未満の小さな工場を建てることはできなくなっている。
番号 | 内容 |
一、 | 自動車修理工場又は自動車整備工場で作業場の床面積の合計が300平方メートル以下のもの |
二、 | 道路運送法(昭和二十六年法律第百八十三号)第三条第一号イに規定する一般乗合旅客自動車運送事業の用に供する整備工場で作業場の床面積の合計が500平方メートル以下のもの |
三、 | 次の各号に掲げる事業を営む工場で作業場の床面積の合計が300平方メートル以下のもの(法別表第二(と)項第三号中(四の四)、(五)及び(十二)を除く各号、同表(り)項第三号並びに同表(ぬ)項第一号に掲げるものを除く。) |
(一) | 製麺(めん)又は精米 |
(二) | パン又は菓子の製造 |
(三) | 牛乳その他の乳飲料の処理又は製造 |
(四) | 惣菜(そうざい)加工 |
(五) | クリーニング又はリネンサプライ |
(六) | 自転車の組立又は修理 |
(七) | 家具装飾品の組立又は修理 |
(八) | 電気機械器具の組立又は修理 |
(九) | 衣服の裁断又は仕立て(出力の合計が5キロワットを超える原動機を使用するものを除く。) |
(十) | 印刷又はこれに伴う製本(出力の合計が20キロワットを超える原動機を使用するものを除く。) |
(十一) | 配送センター |
図2―6―27 整地を終えたサービスインダストリー地区
この地区の敷地は昭和五十八年三月から譲渡が始まり、同年四月の多摩京王自動車タクシー営業所を皮切りに、順次、企業が進出してきており、平成九年三月の時点で、三二企業を数える(資四―431)。もっとも事業所数の多い業種は電気機械器具等製造の九である。平成六年十二月現在の三二企業の従業員数は一八五三人で、そのうち地元雇用者数が六八七人となっている(『多摩ニュータウン立地施設資料集』)。平成八年の工業統計によれば、多摩市の工場数(従業員四人以上)は、わずか三八で、従業員数が一二九四人を数えるのみであるから、この地区が多摩市の産業をささえる比重は大きい。