多くの農山村がそうであったように、この多摩の地も豊かな自然に包まれていました。暮れなずむ山里に夕餉の煙たなびく夕映えの空に一番星が輝き、また多摩川沿いの田園地帯に広がる稲穂の波の上を、時折走る電車の音が遠い台地まで響く日は、明日の好天が期待されました。
やがてこの静かさを破る時が訪れました。昭和三十年代に桜ヶ丘住宅地の開発を契機に多摩ニュータウンの大開発やその周辺の区画整理事業も相俟って多摩の様相は一変してしまいました。
生活環境の激変は人々の生活の態様までも変えて行きました。一番身近な組合、講中の付き合いも住民、住宅の激増によって疎遠になり、今までの風習も敬遠されるようになって参りました。他面年齢層によっては自ら離反していく様もありました。どの地域にも月並念仏の集まりがありましたが、先導者の老齢化と、若者の感性の違いなどで疎んじられたり、今に残る講は数えるほどですし、代参講も旅にでることの殆どなかった人々に一泊の楽しみを分かち合えたものでしたが、今は万人旅行時代、代参の意味も薄れました。
その反面、地域によっては古老を核として、困難な状況を克服して、途絶えていた伝承行事や芸能を復活した例も見られます。
この時に改めてその地域に伝わる伝承やまつりごと、しきたりについてなど、その中には賢い先人の生活の知恵も含まれ、歴史的な由来、市民との関わり、今日までいかにして受け継がれてきたかなどについて、考察することも大変意義あることと思います。
多摩市は明治以来の行政区を殆どそのままに今日人口十四万余の都市として発展してきました。従って多少の差はあっても全域的に生活様式、慣習や、祭祀等大きな違いはないと思われます。しかし伝承的な事象については記録として残されているものは少なく、その多くが多数の市民からの聞き取り調査であったり、僅かずつの資料や伝承の収集、調査、更にはそれらの整合性を検討するなどその任に当る方々のご苦労は計り知れないものがありました。幸い心ある方々によって既刊された生活記録や調査研究誌等は大変参考になりました。
ここに民俗編の発刊に当り改めて資料収集にご協力頂いた方々、聞き取り調査に参加された数多くの方々、また膨大な資料を整理し、執筆に至るまでの編集委員、専門調査員、調査補助員、その他ご協力頂いた方々に心から御礼申し上げます。
平成九年三月
多摩市史編さん委員会会長 新倉勇造