編集を終えて

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 『多摩市史 民俗編』の準備にとりかかったのは、昭和六十一年のこと。それから十年余、いまようやく、本書を市民の皆さまにお届けできることになりました。
 本書の編集をお引き受けしたころの多摩市域は、多摩ニュータウンが完成期に向いつつあったとはいえ、市域のあちこちではまださまざまな工事が続行されており、いささか雑然としておりました。それがいまでは、街路樹もすっかり生育し、ニュータウン区域内とそうでない区域との調和もとれ、落ち着きのある新しいよい町になりました。その間、試行錯誤を繰り返しながら本書の作業を続けてきたのですが、ようやく刊行にこぎつけることができ、いささか感慨深いものがあります。
 市域の民俗は、すでに『多摩町誌』(昭和四十五年、多摩町刊)に貴重な記録があり、また、毎年多摩市教育委員会から発行される『多摩市文化財調査資料』にも収載されてきました。個人研究者によっても、発表されてきました。本書の作業を始めるにあたってそれらを参考にさせていただきましたが、「民俗編」作成のためには、さらに独自の民俗資料調査の必要を痛感し、昭和六十二年度以降、専門調査員、調査補助員のかたがたとともに、新たな資料の発掘に努めてまいりました。資料発掘とはいっても、民俗資料の大部分は市域の方々の日々の伝承のなかにあるわけですから、市民の皆さまのご協力なくしてはできないことです。有難いことに資料は少しずつ集まりはじめ、それらのうち、社会生活、人生儀礼、口承文芸、信仰・年中行事、衣食住生活に関するものと、メカイ(目籠)関係資料とを、「多摩市史叢書」の(1)・(2)・(5)・(7)・(9)・(11)としてまとめることができました。本書は、右の諸資料を中心に、収集したまま未発表になっているものをも加えてまとめたものです。
 編集にあたって頭を悩ませたことが、二つあります。一つは、多摩市を一単位としたまとまりある民俗社会を描くために、相互に複雑に関連しあっている諸伝承をいかなる基準で整理すればよいか、ということです。結局、奇を衒(てら)わずに、多くの市町村史(誌)で採られているような章だてでまとめたのですが、平凡ながら、また内容的に不十分な点は多くあることでしょうが、地方自治体の刊行物としての性格と諸制約を考えると、穏当なよいまとめかただったかと思っています。二つ目は、多摩ニュータウンへの取り組みかたについてです。多摩ニュータウンの宅地造成のため、市域の六割ほどが村落景観を大変貌させました。さらに、ニュータウンへの入居が開始された昭和四十六年以降、多摩市の人口は急増をはじめ、その影響は市域全体の民俗におよびました。現代における民俗の大きな変容は、なにも多摩ニュータウン建設のためばかりではありませんが、その影響が大であったことは間違いありません。その変容をどのように具体的に説明しつくすかが難しい点でしたが、結局、各章ごとにそれにできるだけ具体的に触れることにし、本書全体の枠組は一般的な「民俗編」のままにしました。そして新しく移り住まれたニュータウン内の人々の民俗については、一章(第九章)を設けて述べましたが、まだ十分な伝承が確立していないこともあり、十分に描ききることの難しさを思いました。
 このようにしてまとめられた本書によって、市民の皆さまの市域の伝承生活への理解が深まり、日々の生活を再認識するうえでお役にたつことができれば、私どもとしてたいへん嬉しいことです。
 最後になりましたが、本書の準備段階から調査、執筆にいたるまで、多くの方々のお世話になりました。市民の皆さまには貴重な時間をさいてお話をお聞かせくださり、厚くお礼申し上げます。また、私どもの調査以前に市域の民俗に注目され多くの資料を記録しておいてくださった方々にもお礼申し上げます。それぞれ本務をお持ちのお忙しいなか、献身的に調査・執筆にあたられた専門調査員・調査補助員の方々のご熱意に敬意を表すとともに、ときには市民の方々と私どもの仲立ちをしてくださり、私どもの作業を常に支え適切なご助力をくださった市史編さん室の方々にも、心より感謝申し上げます。
  平成九年三月
田中宣一