貝取地区などでは旧石器時代と推定される遺跡が少なからず発掘されており、多摩市域に人が居住し始めたのは相当古くからと思われる。縄文時代の遺跡は多く、土器・石斧など多数の生活用具・生産用具が出土するほか、竪穴式住居の集落跡も発見されている。したがってそのころ、丘陵部分の高台にあるていどまとまった人の居住が見られたのは確実であるが、これらが、その後の多摩市域の人々とどのようなつながりがあるかについては、わからない。縄文時代につづく次の弥生時代の遺跡は少ししかない。しかも、そこには少量の遺物があるだけで集落遺跡はまだ発見されておらず、弥生時代の様子を探る手がかりは少ない。
古墳時代になると、和田地区の稲荷塚古墳(八角墳)をはじめ一〇余の古墳が確認されているほか、方形周溝墓や横穴もあり、当時の集落遺跡も二か所発見されている。これら遺跡は和田地区に多い。また、『新編武蔵風土記稿』(以下『風土記稿』と略す)の上和田村の条によると、江戸時代前期までは四〇~五〇の塚が上和田村に存在していたというから、これらが古墳と何らかの関係があるとすれば、現在の遺跡発見が多いこともあり、古墳時代にはこのへんにある種の勢力が蟠居していたことが推測される。