生業にも昭和四十年以降大きな変化がみられる。図1-8に産業別人口構成の推移を示してあるが、昭和四十年にはまだ農業を営むものも少なくなかったが、昭和五十五年ではもう皆無に近くなっている。平成六年現在で山林面積は約八五ヘクタール、田畑は合わせて約七九ヘクタール(ちなみに宅地面積は八三二ヘクタール)であるから、昭和三十年代までの農村の面影は、ごく一部を除いて全くなくなってしまった。
図1-8 産業別人口構成の推移
人口の増加とともにさまざまな施設もふえた。公立の小・中学校も多くなり、昭和四十五年段階で小学校四、中学校一であったものが、平成六年には小学校が二四、中学校が一二(公立)となっている。