多摩市域において、村落そのものとも村落の下部組織とも考えられる地縁組織をなぜコウジュウと呼ぶようになったのか、必ずしも定かではないが、葬儀に関わる組織、葬儀に際して念仏を唱和する念仏講がほとんどコウジュウ単位に組織されていたことから推測して、コウジュウとは元来念仏講中だったのではないかと思われる。
コウジュウの内部はいくつかのクミアイ(クミとも呼んでいる)からなりたっている。すなわち、一つのコウジュウはいくつかのクミアイに分かれており(まれには一コウジュウ一クミアイの例もある)、一つのクミアイは四、五世帯から一〇世帯前後の家を構成員としていた。したがって、メンバーの固定した最小の地縁組織はクミアイだということができる。なお、キンジョヅキアイとかリョウドナリとよぶ地縁関係の形成されている場合もあるが、これは家々が鎖状に連絡しているので、それぞれの家にとっては固定した地縁組織とみなされてはいるが、村落構成上はコウジュウとかクミアイのような一単位とはいえないであろう。
以上、本節で述べた近世村を継承した八地区内部の地縁組織の構成を図式化すれば、おおよそ図2-3のようなA・B・Cの三類型にまとめることが可能であろう。そして関戸地区・一ノ宮地区・東寺方地区がA類型(東寺方地区はかつてはC類型であったかと思われる)、貝取地区・乞田地区・落合地区がB類型、連光寺地区・和田地区がC類型といえよう。ただし、村落とコウジュウの関係、コウジュウとクミアイの関係だけに絞れば、いろいろな亜型をたてることも可能であることをお断わりしておきたい。それほど、同じ多摩市域でありながら地区内の地縁組織は多様である。
図2-3 地区内の地縁組織の構成