地区単位のヨリアイでは、役所からの各種連絡事項や役所への申し入れ等の協議、区長等役員の選出のほか、地区単位で祀っている神社(かつての村社)の祭礼などについて話合われていた。これらの会場には、かつては役員をつとめるような旧家の座敷や神社・寺院などがあてられていたが、昭和時代に入り、次第に集会所を設ける地区が多くなってきた。
写真2-6 落合地区青木葉の集会所(昭和23年)
写真2-7 集会所として使われた生活改善センター(昭和55年)
村落のヨリアイでは、地区での決定事項の伝達や道普請・休み日等の相談、村落で祀る小祠の祭礼の相談などがなされていたが、だいたい毎年の慣行の確認が主で、あらためて議論するようなことは少なかったようである。また、年数回、各種講行事が営まれたので、そこで顔を合わせる機会があり、これらもヨリアイ的性格を持つものであった。その一端を見るために一、二の例を挙げてみよう。
落合地区では五つのコウジュウがそれぞれ村落の機能を持っており、各コウジュウの話し合いの場がヨリアイであった。ヨリアイでは、コウジュウの世話係が中心になって休み日を決めたり祭りの準備をするなど、コウジュウ単位の行事の相談ごとのほか、落合地区全体からの連絡もなされた。ヨリアイは、行事の前などの必要な時に随時招集され、招集については世話係からクミアイの長である伍長を通して各家にイイツギで知らされた。イイツギは家から家への口伝えであった。
貝取地区もコウジュウが村落機能を持っており、各コウジュウでは、元旦や祭礼の準備などで神社に皆が集まったときなどに、何か相談ごとがあればした。二月と三月の寅日待ち(男日待ちともいった)や春秋の蚕日待ち(女日待ちともいった)、風祭りの日待なども皆が顔を合わせる機会だったので、ヨリアイとして相談ごとをした。このほか急な相談ごとが必要になると、臨時のヨリアイが区長や年番長などからイイツギによって招集された。特に急ぐ場合には、コウジュウを二つに振り分けてイイツギがなされた。