当人同士が役所へ届け出をすますことによって、法律的には婚姻が成立するかもしれないが、儀礼的には当人同士を含む関係者一同の盃ごとが必要不可欠であるし、社会的には当人の属する集団構成員の承認を必須のこととする。特に緊密な人間関係の上に維持されている村落においては、一定の儀礼的手続きをふまえた社会的承認のない婚姻は、婚姻でないも同然であった。そのため結婚式には飲食が振舞われ、参会者によって盛大に祝われたのである。このことは儀礼そのものは現代社会にも通底するが、かつての村落においてはさらに、儀礼の執行にあたって家々の相互扶助の慣行が存在していた。
同じことは葬式についても言える。人の死には悲哀の感情と穢(けが)れの観念が混融していて、葬式は複雑な構成をとる。簡単に述べれば、前半は蘇生を願っての悲哀の感情の表出であるが、後半部は死霊を怖れ送り遠ざけようとする儀礼である。そしてそれら全般に村落の人々がさまざまな形でかかわるのであり、村八分においても、俗にどうしてもハチブにできない残り二分のうちの一つが葬式への関与であるといわれるように、村落生活におけるもっとも重要な互助協力の一つであった。さらに、関係者によって後のち繰り返される法要によって、死霊は浄化されていくとも考えられていたのである。このように死に際して家族や村落の人々により葬式が恙なく執行され、死後の浄化がはかられるという気持ちが、かつては人々に生の安定をもたらしていたのかと思われる。
以下、市域における昭和三十年代までの祝儀・不祝儀について述べるが、儀礼については第七章において詳述されるのでできるだけ簡略にし、家々の協力の慣行を主にしたい。
写真2-14 葬列(昭和38年)