結婚に際しては仲人が必要であるが、実際の縁談のとりまとめをする人をハシカケといい、これとは別に話がまとまると婿方・嫁方双方で仲人がたてられ、結納から結婚式へと滞りなく進められた。この仲人はオヤブンとも呼ばれた。オヤブンとして頼むのは村落内の懇意で有力な家の者で、代々家ごとにほぼ一定していた。オヤブンに対し、仲人をしてもらった夫婦はコブンで、このオヤブン・コブンの関係は、初子が七歳になるくらいまでの間は、盆・正月の挨拶伺いや贈答などの形で継続された。その後も日常生活の中で仲人は何くれとなく面倒を見ることがあり、また、仲人が亡くなったときには、仲人をしてもらった人は家族に加わって野辺送りのトモにたったりした。
昭和三十年代までの婚礼はだいたい婿方の家で行われていたが、それに先立ち婚礼当日の朝、嫁方へ、ムコイリといって婿方から婿・仲人・親戚代表とともにクミアイの代表が出向いた。
結婚式には、近い親戚の人と一緒にクミアイの人も夫婦で招かれていき、いろいろ仕事を手伝った(不祝儀の場合とは異なり、コウジュウ全体がかかわることはない)。例えば、男の人は、朝、ムコイリについて行ったり、いよいよ嫁入り行列が婿方に到着するとクミアイ代表が二人くらいで提灯を持ってジョウグチ(門口もしくは玄関口)まで迎えに出た。また、座敷の準備をし、披露宴が始まると、クミアイ内の物事のよくわかる年輩者が二人オショウバン役として司会進行をつとめ、他の男の人は接待役として親戚など出席者に酒をついでまわったりした。このようにクミアイの人はけっこう忙しいので、招かれてきてはいてもお客様然として披露宴でゆっくり飲み食いができなかったため、宴の後で別に膳の設けられることもあったようである。一方、女の人は勝手向きの仕事を手伝い、披露宴の後で膳についた。これはアトザシキと呼ばれた。
昭和四十年代以降自宅で結婚披露宴をすることはほとんどなくなったので、右のようなクミアイの人々の活躍の機会はなくなった。しかしその後も、長男など家の相続人と考えられている者の結婚に際しては、招待されて夫婦どちらかは披露宴に出席するので、式当日には、祝儀のある当家が貸切バスなどを仕立て、クミアイや親戚の人が揃って会場となるホテルなどへ行くケースが増えているという。そして多くの場合、式場から戻って、再び家で軽く酒宴を開くのである(この時には嫁・婿はすでに新婚旅行に出かけていて、酒宴に出ないことが多い)。