祝儀・不祝儀との関連

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右に見たことから、講中物としての膳椀類は江戸時代には恐らく存在せず、明治初期に揃えようという機運が高まり、次第に充実させていったことがわかった。これは何を意味し、祝儀・不祝儀という人生儀礼にどういう影響をおよぼしたのであろうか。
 膳椀類を用いるのは、ほとんど祝儀・不祝儀の時であったと言われている。それならば、講中物としての膳椀類を揃える以前の祝儀・不祝儀の際の人寄せは、どのようにしていたのであろうか。それについては、二つ考えられる。一つは、コウジュウ内のごく少数の有力者宅で揃えていた個人所有の物をそのつど借用していたこと、二つめは、有力者宅以外では、人寄せそのものをごく小規模にしか行っていなかったことである。
 恐らくその両方ともであったと考えられるが、まず前者のことは、ついに共有の膳椀を揃えるにいたらず、それらが必要とされていた昭和三十年代の最後まで、有力者宅のを借りつづけたコウジュウのあったことから推測できるのである。もし前者のとおりであるならば、明治初期の膳椀類の成立の機運は、コウジュウ内の家々の平等意識高揚の結果であり、各家々の有力者宅からの独立を意図した動きと捉えることができる。
 一方、後者については、江戸時代の有力者以外の家々の祝儀・不祝儀の人寄せの実態がわからないので確たることは言えないが、講中物を所蔵したということはどの家でも人寄せに容易に膳椀類を整えることが可能になったことを意味し、有力者宅以外の家にも、祝儀・不祝儀の場を賑やかにする道を開くことになったとは言えないだろうか。もしそうであるならば、多くのコウジュウで講中物を所蔵するようになった結果、一部の有力者宅のものであった華やかながらもやや格式ばった婚姻や葬送の儀礼が、コウジュウの成員すべてにおよぶことになったわけである。
 以上、講中物について述べたが、これらの所蔵と管理・運用は、村落の人々の互助協同の実態を示すものといえよう。