各地区には、昭和三十年代までは、だいだいコウジュウ(講中)単位にさまざまな信仰的講集団が組織されていた。原則的には信仰を同じくする有志の集団ではあったが、長い間同じ地域社会で生活している家々にとって、それへの加入は当然のこととして受け取られていた。集まって飲食をともにしたり、ときには旅に出たりしたので、講は本来の目的とは別に、娯楽の少ない時代の人々にとって大きな楽しみでもあったのである。しかし、単なる娯楽の機会になってくると急速に求心力を失い、廃止された講が少なくない。また、現在では存続していても、その多くは、かつてのような活発さはみられなくなっている。講行事の内容については第五章で触れられるので割愛し、人々の交わりという観点から各々の講について述べておく。
信仰的講には、信仰対象をその地域の小祠や小堂を中心にし地域内で完結する講と、対象を地域外の社寺に求めている講とがある。前者には、念仏講、不動講、阿弥陀講、日待などがある。後者は、毎年交替で代表者が参詣する場合が多いことから代参講と総称される。代参講としての御嶽講、大山講、榛名講はかつてはほぼどのコウジュウにもあり、コウジュウによっては他に三峰講、塩釜講、釣船講、秋葉講などがあった。古くは伊勢講もあった。
写真2-29 念仏講
写真2-30 地蔵の燈明料を集める袋
(乞田地区の大貝戸講中物)
写真2-31 念仏箱