不祝儀にも、仕事そのものはクミアイやコウジュウの家々が担当し、濃い親族はその手伝いにはタッチしなかった。特に穴掘り当番役からは除外された。そのかわり、手伝いの人々などに振舞われる赤飯は、イッケの有力な家(本家など)や近い親戚(嫁・婿の実家など)からハンダイという丸い大きな器(一対)に入れて葬家に届けられ、このことは紙に書いて貼り出し、会葬者に披露されたのである。葬式後の念仏講中の人々への礼品も、葬家の当主とともに近い親戚が分担する例が多い。
実際の労力がクミアイやコウジュウの家々によって提供されるのに対し、親族の家々はこのように物品の提供によって物心両面で葬家を援助していた。それは香典の額に顕著に現われている。そのへんの事情を、関戸地区の旧家(農家)であるO家の大正十五年と昭和十一年の「香典帳」からたどってみると、香典を持参している主な家々は、ジシンルイ・イッケ・親戚・クミアイ・キンジョヅキアイ・コウジュウ・仲人である。大正十五年に八二歳で没した男性の葬式の例でみると、単なるコウジュウの家々はすべて三〇銭(コウジュウでもイッケや親戚関係にある家は別)、単なるクミアイの家々は一円と白米二升というように統一されている。それに対し、ジシンルイはだいたい二円、イッケは三円と白米二升となっており、ジシンルイやイッケは、コウジュウやクミアイなど地縁関係の家々より一ランク多い。そして親戚であるが、これは葬家および死者との関係の濃淡によって異なるが、すべて一円以上であることはもちろん、死者の妻の実家が五円、喪主の妻の実家が一〇円、他出している死者の孫A・Bが五円と一〇円、家にいる孫(喪主の長男にあたる)の妻の実家が五円、孫の婚出先が五円というように、血縁的に近い親戚は多額である。さらに、死者の娘(すなわち喪主の姉妹)の婚家C・Dは、Cが一〇円と赤飯料五円・酒代五円、Dが二〇円(赤飯一駄)と酒代五円というように、いっそう高額の香典を出している。この傾向は昭和十一年の葬儀に際しても同様である。このように香典に関しては、死者や喪主と血縁関係上きわめて近い家々が多く持参していることがわかるであろう。なお、先に触れたハンダイに入れた赤飯の持参であるが、大正十五年の例でみると、赤飯料として金銭で持参したものも含め三家が持参している。内訳は、死者の娘(すなわち喪主の姉妹)の婚家二家と喪主の妻の実家であり、死者からみると娘の嫁入り先や嫁の実家、喪主からみると姉娘の嫁ぎ先や妻の実家が持参するという慣習であったことがわかる。
以上のように不祝儀に際しては、地縁関係の家々が労役を担当し、忌みのかかっている血縁関係にある人々が金銭や物品を提供して、労役に従事した人々をねぎらい葬家を援助するという、役割分担のなされていたことがわかるのである。