これらの際の祝い品は、子どもの年齢に応じて玩具・着物・履き物等々さまざまであるし、初節供などには、濃い親戚では鯉幟・五月人形・雛人形などを贈った。現在では、一般には金銭が多くなっているようであるが、先にも述べた関戸地区のO家の大正十五年と昭和五年の「御祝品覚」の資料から、当時の誕生祝いの品をみてみると、総じて、ジシンルイ・イッケ・親戚など血縁関係の家々からは白米・鰹節・麻などが多く、仲人からは白米・鰹節・麻・衣類、地縁関係であるクミアイからは金銭・半紙などが多い。大正十五年の例は男児、昭和五年のは女児への祝いであったが、ともに同じ傾向を示している。これが、初着(宮参り)や初節供・七歳の祝いになると、白米や鰹節ではなくなり、衣類や玩具などが多くなる。もちろん、これらを祝った家々にたいしては、餅・赤飯などのお返しがなされたり祝膳に招くことは、言うまでもない。
写真2-32 女児の初節供の飾り