昭利30年ごろの落合地区唐木田。ビール麦のノゲ取りをしているところ。夏の暑い時期の作業である。夏休み中の子どもが手伝いをしている。
(横倉益夫氏提供)
多摩丘陵は北は武蔵野台地、南は相模原台地の間に楔(くさび)状に位置する丘陵地帯である。北の武蔵野台地との境には多摩川が流れ、南の相模原台地との境には境川が流れる。標高は西端の御殿山(ごてんやま)峠付近の二一三メートルを最高とし、東南に向かって次第に低下し、小田急線が横断する付近が丘陵の東端で一〇〇メートル内外である。
多摩市域には多摩川本流と共にその支流である大栗川、乞田(こった)川が流れている。これらの水系によって丘陵は浸食され、樹枝状の谷が発達し、いわゆる晩壮年期の地形を呈していた。この浸食された谷地形を地元の人たちは谷戸(やと)と呼んでいた。市域の地形は丘陵部と、丘陵部が大栗川と乞田川によって浸食されてできた帯状の低湿地、さらに多摩川の氾濫原(はんらんげん)である平坦地の大きく三つに分けられていた。谷戸は丘陵部の小河川によって形成されたもので、空間的には大きく丘陵と谷戸を含む低湿地の区域と、多摩川沿いの平坦地の二つに分けられる。市域での標高の一番高かったところは落合の大松台(おおまつだい)というところで一六三・四メートル、一番低いところは関戸の下河原(しもがわら)の多摩川河川敷で四二メートルであった。高い山もなく、低い丘陵と谷との起伏で構成された地形であった。