2 雑木林と谷戸の概観

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多摩丘陵の植物相の基盤をなすものは、尾根通りに展開する赤松林と、各種の落葉広葉樹と常緑樹からできている雑木林であった。図3-7はかつての丘陵地帯の景観を模式的に示したものである。低湿地、小谷戸の水田、少し高い位置に屋敷が構えられる。その周辺には防風林を兼ねた欅林、食用を兼ねた孟宗竹林が配される。屋敷の上には開墾された畑が続き、さらに草刈り場としての芝地が広がり、その上は雑木林となっていた。墓地は屋敷地と山林の境あたりに設けられていた。また、広い斜面の畑の間に茶の木を植えたり、畦畔に柿や桑の木を植えて流土防止の役割を担わせていた。

図3-7 丘陵地帯の模式図(『多摩町誌』より)

 このような谷戸を中心として形成された耕地屋敷を谷戸屋敷、その集合を谷戸集落と呼んだ。図3-8は多摩村乞田の宅地と耕地・林地の配列関係を示したものである。こうした配列の特徴は「谷戸がまず草分け的な居住者によって着目され、谷戸屋敷を成立せしめ、水田開発の端緒をなしたと推定される。先駆的居住者とみられる旧家の宅地は水利用に都合よく谷戸を控え、しかも谷戸の真前を避けて豪雨の際のいわゆる〝谷戸水〟の氾濫を免れ、裏山の林は豪雨の際の土砂崩れを防止する。特にそこには竹藪を設けてその機能を強化したものをみる」(「多摩丘陵の人文地理調査」『南多摩文化財総合調査報告』第一分冊、昭和三十六年三月)ことができるのであり、自然による破壊、柔らかいローム層の土質のための侵食に対し、長い歴史の中で住み方が培われ、結果として多摩丘陵の基本的な景観が形作られてきた。

図3-8 乞田の土地利用(『南多摩文化財調査報告第一分冊』より)
①~⑯は、それぞれの土地所有者を示す