図3-9 谷戸の民家屋敷取りと土地利用断面図(関戸地区)
全体が谷地形の中にあり、南側と北側及び谷の一番奥にあたる西側が山になっている。A氏宅の屋敷取りは建物は主屋、土蔵、物置、薪小屋、堆肥小屋、鶏小屋、豚舎から構成されている。かつては主屋前に風呂場があった。主屋は勾配の急な山林を背にして南を向いて建ち、その前面のスロープが畑として利用され、谷の一番低いところは山からの水を集めた堀が流れ、この水を利用して水田が開かれている。西側は高い擁壁の上が住宅地として開発され、北側の山林も公園化され、公共の建物がたつ状態の中で奇跡的にかつての景観を残しているところである。
背後の山林との境には墓が設けられ、そばには稲荷をまつる屋敷神の祠(ほこら)がある。薪小屋にはソダや藁が納められ、古い農具や機械も納められている。堆肥小屋は落ち葉を集め腐蝕させて肥料とするところで、簡単な囲いのものである。堆肥作りのためのちいさな堆肥の囲いは畑の隅にも設けてある。鶏小屋では鶏が飼育されている。土蔵には古い生活用具や布団等の家財道具が納めてある。物置は農業用の薬、種、小道具等がおかれ、一番利用されているところである。豚舎はすでに豚の飼育は行われておらず農業機械、資材の置場所となっている。井戸は土蔵の前にあり、かつては物置の前にある井戸を使っていた。栗園はかつては水田で、物置の前の畑もかつては水田であった。
屋敷内の樹木は食用になる柿、梅が多い。また、かつては縄を編む材料としていたシュロの木が多く植えてある。畑の境には茶の木が垣根のように植えてある。
図3-10は和田地区上和田(あげわだ)の事例を示したものである。大栗川の氾濫原より一段高くなった台地形の場所で、台地の上と下に住宅があり、境の傾斜地は雑木林が残され、ハケ下と呼ばれる傾斜地の下側には湧水がみられる。
図3-10 台地の民家屋敷取りと土地利用断面図(和田地区上和田)
平坦な屋敷地には北側に主屋が位置し、広い南側に土蔵、もと蚕室であった物置、倉庫、繭乾燥庫等の付属屋が点在する。南端の雑木林との境には墓が設けられ、墓石が並ぶ。台地上の隣家の墓も雑木林沿いに設けられている。屋敷地全体に柿の大木が大きく茂り、鬱蒼(うっそう)とした雰囲気を与える。大きく育った欅(けやき)や樫(かし)の木陰では椎茸(しいたけ)栽培が行われている。他に梅、栗等の果樹が植えられ、木々の間に養蜂家が置いていった養蜂箱が残されている。湧水地側は一面に蕗が生い茂っている。