〈摘田の播種〉

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種籾と肥料を混ぜたものを直播する作業そのものは「摘む」と表現する。「摘む」だけではなく「まく」と表現することもあり、落合地区で摘田の播種量で名付けられた「三升まき」「五升まき」という田の名称表現にそれがとどめられている。
 摘田の播種期は五月中旬の十日ころから二十日ころまでであった。播種の前に田の水を落としておく。ツクテや木灰と混ぜた種籾は肥俵や叺(かます)に入れて田の畔まで運び、摘桶や摘笊へ移す。摘桶は肩から紐で下げ、摘笊は紐で腰の位置で抱える。この桶や笊からつまんでは、田へ振り落として播種する。初めは畔に沿って五サク(畝)ずつ後退しながら摘んでいく。後退するときは足跡を足で均しながらさがる。一尺ほどのサク間に五~六寸の株間で摘んでいた。不慣れで、サクの筋の付く丸太を引いて摘んだ人もいたという。

写真3-3 籾振り(昭和50年ごろ)

 指先で摘む家が多かったが、ワンコ(椀子)を使う家もあった。古い椀を使い、適当な量をすくって椀をかえすようにして振りつける。椀を使うのは種籾にクンタンを混ぜた家であった。下肥で練ってあるので臭く、汚いので椀を使うのだという。そして、摘み終えた田から、鳥に種籾を食われぬように落ち葉を上に散らし、薄く水を張った。