桑の品種と桑畑の管理

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桑の品種には一の瀬(いちのせ)、市兵(いちへい)、十文字(じゅうもんじ)、甘楽(かんら)、御所(ごしょ)、春日(かすが)、露桑(ろそう)、鼠返(ねずみがえ)し、改良鼠返しなどがあり、養蚕の季節や蚕の成長に合わせて選んで与えていた。市兵、一の瀬、十文字は葉が薄く、蚕もよく食べるので稚蚕に与える。蚕が少し大きくなるとおくての十文字を与え、成蚕には鼠返し、御所などを与えた。限られた桑畑だけでなく、畑のまわりに防風・土留に植えられた桑や、田の縁や山裾にカクゾウあるいはカゾウと呼ばれる桑の古木もあり、それらも使われていた。桑畑は里の畑にも作られていたが、桑畑にするために山でアラクを切る(開墾)ことも珍しくなかった。アラクで桑畑を拡張できる家はまだよいが、それのできぬ家は春蚕の時期に桑が不足するので、桑市(くわいち)で買って間に合わせることも多かった。なお、桑の需要が高いころには、和田では軍人畑と呼ばれる桑畑が作られていた。これは、在郷軍人会が農家の畑を借りて桑畑を作り、桑の足りぬ農家へ一サク単位の入札で売っていたのである。入札で落とした農家は、必要な時に切りにいくのであった。
 桑畑を耕作し施肥するのは、主に冬の作業であった。春蚕には桑の枝を伐って葉を扱いで与えるが、その後は切らずに葉を摘んで与えるので秋には枝は長くのびている。そこで、枝が広がっていては作業の邪魔になるので、冬の耕作の前に株ごとに枝を上へ上げて二~三か所で束ねる桑まるきをした。桑畑の畝間(うねま)は四~五尺、株間は三尺ほどである。冬の耕作は、まず、暮れの内に桑株の根際の土を上げ、畝間に寄せておく。根際の土を少し掘り上げて害虫の冬籠りを防ぐのであった。桑の害虫は葉を食う尺取虫や幹に穴を開ける鉄砲虫(カミキリ虫)であった。そして、春三月ころに桑の芽が出る前に、根際の窪みへ堆肥や下肥の桑肥(くわごえ)をし、その上へ畝間の土を寄せてかけた。これをボッカケと呼んでいた。また、夏の間は桑畑の雑草が実をつけて種をこぼさないように、幾度か草むしりをした。桑の古木は葉の出方が少なくなるので、根から抜いて新しい苗を植え、桑畑の勢いを維持する。冬から春にかけて桑苗産地の立川市の砂川で買い、リヤカーで引いて日野橋を渡って運び植え付けていた。ジャンガラと呼ばれる掘り上げた桑株は、焚き物にされていた。桑苗を植えて五月ころに一尺ほどの高さで先を切る。切り口より下の芽を枝にのばし、翌春にその枝も芽を幾つか残して切り、台株をつくる。こうして、たくさん徒長枝(とちょうし)がでる株を仕立てたのであった。