〈給桑〉

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その後は、春と夏以降では桑の葉の取り方が違っていた。春は昼前までに桑を枝で切ってきて桑室へ入れておき、葉を扱いて与える。この桑扱きをした後の枝は焚き物に使われていた。夏以降は枝で切ることはせず、桑摘ビクで葉を摘んできて桑室へ入れておいて与える。ショミン(初眠)過ぎは一日五回ほど刻んだ桑葉をクワブルイ(桑篩)でふるって与え、蚕が大きくなるにつれて刻みを大きくする。ニミン(二眠)、フナドマリ(三眠)、タイミン(四眠)と脱皮のために四回とまり(眠り)、タイミンから起きて二回目の給餌くらいから刻まずに与えるようになる。その後は、枝のまま桑の葉を与える条桑育であった。
 条桑育は納屋の軒下などに杭を打って二段に棚を組んで行っていた。一段目は地面から五寸ほど上げてあり、二段目はその三尺上であった。桑の枝を並べるように与え、蚕糞(こくそ)も食べ残しも除かずに飼うので、乾燥させるために石灰(せっかい)や焼糠(やきぬか)を時々撒いていた。焼糠は、稲の籾殻を焼いて灰になる前に消して作ったものである。この条桑育も、春蚕は枝ごと与えるものだが、夏蚕は桑の木の枝の上の方を残して下の方を摘んできて与え、夏蚕で残した枝の上の葉は晩秋蚕用となった。

図3-21 桑摘みビク


写真3-10 給桑(昭和48年)

 エビラにたまった蚕の糞を取り除く作業は、「尻を取る」と表現していたが、蚕が脱皮のために寝て起きた時に行っていた。蚕糞のたまったエビラの上に糸網(いとあみ)を掛け、その上に桑を撒く、起きて食欲のある蚕が網の上の桑を食べに上がると、網を持ち上げてきれいなエビラへ移す。この時の網は、蚕が小さい時は目の細かい糸網で、大きくなるに従い目も大きくし、縄網(なわあみ)を使う。桑は一日に四~五回与えるが、夏は蒸れぬように桑を薄く掛けて、回数を増やすようにしていた。一日の最後の給桑は午後十時頃であった。