〈上蔟〉

182 ~ 184
タイミンから起きて一週間ほど桑を与えると熟蚕(じゅくさん)となり、食が止まって蚕の体が透き通ってくる。それをヒキルといい、頭を振ってアジと呼ばれる糸を口から吐き始める。そのようになった蚕から順に蚕盆に拾い集め、マブシ(蔟)へ移し繭を作らせる。上蔟(じょうぞく)用に、屋根裏に二~三段の棚を組み、綱を下げて籠で蚕を上げる家もあった。そして、イトダテあるいはオダテという薄い莚に蚕をあけ、その上にマブシをのせると、蚕がマブシに上って繭を作る。
 マブシは島田マブシ、オリマブシとも呼ばれた藁マブシであった。藁マブシは藁を幾重にも折り曲げ、山形の波を連ねたようにしたもので、冬の農閑期に藁をマブシ織り機で織り自家製造しておいたものである。しかし、藁マブシは拡げが雑だと、繭を作る隙間が均等にならぬので、改良マブシと呼ばれる山波の上下に細い竹を付けたものも使用されていた。厚紙で升目を作った回転マブシが使われるようになったのは、昭和十年前後からであったという。この上蔟のヒキ拾いは人手が必要で、養蚕をしていない農家の婦人を頼んでいた。そうした家の婦人達であっても、実家で養蚕の経験のある人などがいたものであった。そうした上蔟作業の手伝いのお礼は、米の粉や米であった。

図3-22 マブシの種類