マブシに入った蚕が繭になり一週間ほどで繭掻(まゆか)きをする。この繭掻きにも手伝いの婦人たちを頼んだ。マブシから取り出した繭は莚(むしろ)を敷いたエビラに出荷まで拡げておく。出荷には木綿の布袋に詰めて、大籠へ入れて運ぶ。三~四坪の乾燥倉を数軒の共有で持っている所では、炭を高温にして数時間かけて繭の蛹を殺し、毛羽(けば)取り機にかけて繭を整えてから出荷していた。古くは繭の仲買商人が買い付けに来たが、昭和十年ころには乞田川の大橋のそばの片倉製糸の臨時集荷所へ運ぶようになり、立川の集繭所へも運ぶようになった。形の整った繭は本繭と呼ばれ、その他に屑繭(くずまゆ)と一括されるタマ、シイナ、ナカマイ、ビショマイがあった。タマは二匹の蚕で一つの繭を作ってしまったもの、シイナは繭が薄くて柔らかいもの、ナカマイは蚕の尿などがかかりシミができて堅くなったものであった。タマは二匹の蚕の糸でできた繭で丈夫な糸がとれたが、本繭と一緒には出荷できず、シイナ・ナカマイと共に自家用に糸を取り、機(はた)で織った。
自家用の糸は、糸取り台のない家では揚げ場と呼ばれた小規模の製糸場に糸引きに出していた。戦前には乞田や和田にも数人の娘さんで糸引きをしていた揚げ場があった。乾燥倉で乾燥させた繭を缶に入れておき、必要な時に出して揚げ場で糸に引いたのである。
また、シイナ、ナカマイなどは、屑繭買いがまわってきて引き取っていった。この屑繭買いは町田方面から来ており、買い取った屑繭を真綿にしていたという。