多摩丘陵での炭焼きは既に近世から全域にわたって行われており、『新編武蔵風土記稿』にも記述されている。その中で上図師村と真光寺村(共に現町田市)の項には黒川炭の名称が出てくる。おそらく現在の小田急多摩線「黒川駅」のあたりで主として生産されたものと考えられるが確証はない。これとは別に桜(佐倉)炭の名が多摩丘陵全体は通っていたとされ、それは明治三十四、三十五年以降のことである。桜炭とは櫟(くぬぎ)を原木とした黒炭のことで別名菊炭ともいわれた。桜とは千葉県佐倉市周辺のことで、近世以降千葉の下総(しもうさ)台地で生産され佐倉に集荷されたことからこの名があり、良品を生む技術が内包されていたのであろう。その技術が多摩丘陵にもたらされ桜炭の名となった。桜炭の伝播は多摩全域には真光寺村の人から伝わったという伝承があるが、これと黒川炭の関係は明らかでない。
写真3-11 炭焼き(昭和45年)