第二次大戦前まで村中の田が植え終わったころを見計らって三日正月の触れがでた。田植え正月の他に植え上がり、田植え上がりとも呼ばれていた。二毛作の農家は春蚕から麦刈、そして田起こし田植へと忙しい日々が続き五月、六月は休む間もなかった。どの家も七月初旬には田植えを終え、そのころに出させる三日正月は、骨休めになる農休日であった。こうした時は男たちは神社へ寄り合い、慰労会と称して酒を飲んだものであった。また、奉公人にも三日の暇を出し、嫁におこわを持たせて里帰りをさせた家もある。
田植え正月