種を播いて数日すると稗(ひえ)が先に芽吹き、稲が芽吹くころには五センチメートルほどに延びる。この時点で稗抜きをする。稲の苗が成長し始めて見分けが付かなくなる前に抜く。その後、田の草と呼ばれる雑草取りを三回行う。昭和十年ころから田車(たぐるま)という除草機が使われだすが、それ以前は両手の指で田へ生える草を掻(か)き取った。指を立てて土を掻きながら草を取り、抜いた草は田の泥へ押し込む。この時、土を掻いて稲株のまわりの細かな根を切ると、新しい根が伸び、株も増えて太くなる。昭和になり使われ出した田車は、草を掻く鉄の爪を回転軸に取り付け、柄を押すと回転しながら草を掻き取るものであった。稲の草丈の短い一回目の田の草取りで使われるようになった。屈み込んで草を掻き続けるのは辛いものである。時には稲の葉先で目を突き医者にかかるようなこともあった。葉で頬(ほお)を切るようなことは希でなく、草取りには頬被りは欠かせぬものであった。田車だけでは稲株まわりの草を全て除くことはできぬが、辛い作業の軽減には貢献したのであった。
三回目の草取りは、七月二十日~二十五日ころに田の水を落とした後で、塗り干しあるいはトッポシと呼ぶ。土用のころなので土用干しとも呼ぶ。掻き取った草を泥へ押し込み、表面の泥を手でこねて塗り付ける。トッポシとは田の草の取り干しのことだという。この後、一〇日ほど田を干すので、夕立の来そうな日は塗り干しはやめる。せっかく塗り干しをしても夕立が来ると、泥に潜らせた田の草が浮いて出てしまうからである。真夏の日差しの強い季節なので、早朝と夕方の作業であった。朝四時ころ起きて田へ出て、午前一〇時ころには家へ戻る。昼寝でもして体を休め、午後三時ころから夕刻薄暗くなるまで再び田へ出た。田の草取りで抜きそびれた稗が、稲より一足早く稔り出す。草丈は稲より高いので、田の中を歩きながら引き抜く。実がこぼれて田へ入らぬように、抜いた稗は田の外で枯れさせた。
一〇日間ほど田を干して八月十日前後には再び水を入れる。その後は水を溜めるというより、乾かぬ程度に田へ水を流す。稲の花が咲き始める八月中旬に入ると充分に水を溜める。これを花掛け水と呼び、八、九月は水量に気を使う時期であった。そして、秋の彼岸ころに水を落とし田を乾かす。