脱穀

213 ~ 215
扱き落とした籾は篩にかけ、穂で落ちたものやごみを選り分けた。その籾を箕(み)で掬(すく)い、肩の高さから徐々に落とし、さらに細かいゴミを飛ばした。その風は三枚あるいは四枚羽根の手回し式の扇風機で起こしていた。この扇風機を使うようになる前は筵(むしろ)の両端を掴み、垂れた中央を足で踏み、両手でバサバサ扇いで風を起こしていたという。籾だけになったものは叺(かます)に入れて家へ運び、天候を見て筵へ広げて天日乾燥させた。十一月は日も弱くなっているので二日ほど干す必要があった。
 篩(ふるい)で選り分けられた穂に繋(つな)がったままの籾は別によけておき、籠で背負って帰ってくる。それを庭に広げて天日で乾燥させ、クルリ棒で打って穂から籾を離した。
 乾燥した籾は籾摺(もみす)りにかける。一ノ宮地区は籾摺(す)り機を導入したのが早く、昭和十年ころに村で籾摺り機を購入し共同で使用するようになった。それは、籾殻と玄米の選別まで行えるものであった。これは随分と働いた機械で、機械係の作業者を付けて乞田地区まで賃挽きに出し、機械代を稼いだ。賃挽きをする前日に牛車で機械を運び、機械係は日当で籾すりをしたのである。この籾すり機を使う以前は唐臼(からうす)で籾を摺り、唐箕(とうみ)にかけて玄米と籾殻を選り分けていた。
 
落合地区中組、下落合の昭和30年代の農作業

写真3-24 唐箕での作業


写真3-25 籾を干す


写真3-26 万石にかける


写真3-27 籾すり選別