2 二毛作田での麦作

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 大正元年の多摩村の畑地は『南多摩郡農会史』によると三一一町七畝十八歩であり、麦作付け反別は三二〇町とある。麦作付け反別が概数となっているようで畑地より多い数字となっているが、すべての畑で冬作に麦を作付けていたことを示しているには違いないであろう。そして、さらに二毛作田の裏作に六四町歩の麦作を行っていたのである。二毛作田の麦は、表3-13のようにほとんどが大麦であった。これは麦刈り時期の関係であった。大麦は五月末から六月上旬に刈り取るが小麦は六月中旬であり、田植え時期と重なってしまうからである。二毛作田で小麦を作った農家は畑地の少ない家であり、やむなく一部の田で小麦を作付けていたのであった。
表3-13 麦作付反別 大正元年
(『南多摩郡農会史』より)
大麦 裸麦 小麦
五十町五反 八町五反 五町 六十四町
百二十町 五十町 百五十町 三百二十町

 なお、大麦はバクメシ(麦飯)と呼ばれる米と混ぜて炊く主食にする農産物であった。米は小作であれば、その収穫の多くを田の小作料として納め、小麦は畑の小作料を金納するために売る分も必要であったので、大麦は農家の喰い糧を確保するためには欠かせぬ作物であった。特に田より畑の少ない一ノ宮地区や東寺方地区では、小麦を畑で作り、大麦を二毛作田で主に作ったのであった。