稲の場合は田ですべて扱いてしまったが、麦は家へ取り込んでから扱いた。麦を刈り取ると二~三日地干しをして、両手で抱えるほどに束ねて家へ運ぶ。この結束にはスガイを使う。スガイは稲藁の穂先どおしをより合わせた簡易な縄であった。この麦の束をリヤカーへ積んで運ぶ。それから、足踏み脱穀機で穂先を扱き落とし、クルリ棒でボウチ(棒打ち)する。大麦や裸麦は扱き落とした状態では多くの粒が穂先について塊になっている。そのため、クルリ棒で粒を叩き落とすのである。動力の脱穀機が使われるようになると、この棒打ち作業もなくなる。小麦は脱穀機で扱くとほとんど粒になるので、筵を敷いた上で扱いていた。
写真3-28 クルリ棒での作業(昭和15年ごろ)
図3-28 クルリ棒
また、麦のノゲもボウチすると折れて取れる。大麦は殼を被っているが、小麦と裸麦はノゲを落とすと粒になる。ボウチをした後、叩き落とした穂先などは風で選り分ける。一人が筵からごみの混じる麦粒を箕ですくって肩の高さから落とし、もう一人が手回しの三枚羽の扇風機で風を送りごみを飛ばす。扇風機を使いだしたのは大正時代からで、それまではV字型に曲げた竹へ付けた二枚の大きな団扇で扇いで風を送っていた。