多摩川の鮎は、江戸時代より商品価値の高い漁獲物であった。多摩川の上・中流域は江戸の市中へ鮮魚で運ぶに都合の良い距離にあったことから、その鮎は珍重され、御用鮎・御菜鮎として将軍家への上納が行われていた。一之宮村は近世前期には接する多摩川を占有し地頭であった中山氏へ年に五度ずつ鮎を上納しており、延宝六年(一六七八)に対岸の四谷・本宿・中河原と四か村の入会となった後も、その上納を継続している。また連光寺村は、川附村組合として秋の彼岸より将軍家の御菜鮎の上納を行っていたのである。
多摩川での古くからの鮎漁の代表はモジを使う瀬張りであり、関戸地区、一ノ宮地区の人々もそれを行ってきたが、明治以降は東京近郊の行楽地として足を運ぶ人々が増え、関戸に川魚料理屋の井上亭ができ、鵜飼いで客を集めた時期もあった。
明治三十六年に創立された多摩村漁業組合の規約には次のような鮎漁法と入漁料が記されており、その漁期は六月一日から十月十四日までと、十一月十六日より十二月三十一日までとされていた(『多摩町誌』)。
イ 鮎雑魚釣漁業 個人
ロ 鮎刎網漁業 共同 一日五円
ハ 鮎雑漁昼夜投網漁業 個人 一日一円
ニ 鮎雑魚寄川漁業 個人 一日五円
ホ 鮎伏し上り下り漁業 共同
ヘ 鮎鵜飼漁業(但し、各自一人につき一時に二羽以上の鵜を使用せざること)
個人 鵜一羽一日二円
ト 鮎雑魚地曳網漁業 共同 一日五円
チ 鮎雑魚目ざし漁業 個人
リ 餌とう漁業 個人
ヌ 眼鏡釣漁業 個人 一カ所一日一円
ル 友釣漁業 個人 一日一円
オ 鮎しら漁業 共同