〈瀬張り〉

223 ~ 225
鮎を驚かす縄を川面に張り渡し、モジ或いはモジドと呼ばれる筌(うけ)へ誘い込む漁法は瀬張(せば)りと呼ばれた。六月から鮎が下る秋まで行われていた。まず、杭を適当な間隔で川を横切るように対岸まで打ち、その杭へ縄を張る。縄は川面をピチャピチャと叩く脅し縄である。さらに縄にはオカザリと呼ぶ稲藁が四~五寸間隔に結ばれ、流れの中で激しく揺れる。流れを下る鮎は縄とオカザリを避けて通過できる場所を探す。オカザリを下げた縄を川岸まで張らずに開けておくと、そこから鮎は川下へ逃れようとする。川を横切るオカザリの縄の端から川下へ岸と平行に網を張って鮎の流路を作り、その流路の先にも遮るようにオカザリを付けた縄を張る。流路を作る網は瀬張網と呼ばれ、その網の裾へモジを適宜間隔を開け、流れに横になるように仕掛ける。仕切られた流路から川を下ろうとした鮎の先に再びオカザリを付けた縄が現れることになる。鮎は川下への行き場を失い網沿いに逃げ口を探すうちにモジへ入り込み身動きできぬようになる。鮎の定置漁法である。瀬張りのモジは一五本ほどの竹ヒゴを蔓で螺旋(らせん)状に編み、二本並べて結束してある。長さは四〇センチ前後、一本の口径は五~六センチ。返しのないモジだが鮎は後ずさりしないので入ってしまうと逃げられることはなかった。数匹の鮎が一本のモジに潜り込んでいることもあったという。モジドウで取る鮎は形は揃わぬが、魚体に傷がつかぬ利点があった。この、瀬張り網をオカザリの縄の端から川下へ張る方法は多摩川の上中流域で広く行われていたが、関戸地区、一ノ宮地区では、もう少し簡単な方法も行われていた。それは、オカザリをつけた縄を川岸まで張り渡しておき、モジを仕掛ける瀬張りの網を岸近くで上流に張り渡す方法であった。オカザリの縄を避けて岸近くまで泳いできた鮎が網に沿って上流へ戻る時に網の下へ仕掛けたモジへ迷い込むのであった。こうした鮎の瀬張りを関戸、一ノ宮両地区の人々が手がけたのは大正期までであった。

図3-29 瀬張り1


図3-30 瀬張り2