瀬張りに対して、遡上する鮎の性質を応用した漁法が跳ね網であった。下る鮎は瀬張りで見られるように水面に張り渡した脅し縄の下はくぐらず、回避する性質がある。ところが、遡上する鮎は堰を跳ね上がると同様に、障害物があれば水面を飛び跳ねても上流へ上る性質がある。跳ね網はその性質を応用した漁法であった。障害物は瀬張りと同様に鮎を脅す縄であるが、跳ね網で使用する縄は固定せずに、その両端を川の両岸で持ち川下へ移動して行くのである。この藁縄には植物のシダの一種の裏白(うらじろ)、または葉つきの柳の小枝を一尺間隔ほど開けて適宜挟み、三尺あるいは六尺ごとに縄を沈める石の錘(おもり)が下げられている。裏白も柳の葉も裏は白く、水流で踊るように揺れるとキラキラと光り川底を這う。遡上する鮎はそれに驚き川下へ向きを変えるものもいるが、果敢に障害を飛び越えて遡上するものもいる。その跳ね上がった鮎を縄の上流で待ちかまえる叉手網(さであみ)で受けて漁獲するのである。この叉手網が漁法と同じく跳ね網と呼ばれ、三間近い二本の竹竿の元を合わせて縛り、幅三尺ほどに先を開いて間に先から二間ほどに網が張ってある。
図3-31 跳ね網
跳ね網による鮎漁の漁期は六月の解禁から九月までであったが、七月八月の夏場に行うことが多かったと記憶されている。綱の両端に二人、その間に石の錘を引きずる二~三人の引き手と、網持ち三人ほどの合わせて七~八人一組で行う。一ノ宮地区と関戸地区にそれぞれ一組ずつあったというが、子ども仲間の遊びでの跳ね網も見られたという。取った鮎は鮎籠へ大きいのは縦に、小さいのは横に並べ、主に府中の料理屋へ売りに行く。そのため、鮎漁も客のある土曜日曜に行われることが多かったという。そして、鮎を売った代金は網持ちも綱引きも平等に日当として分配したのであった。こうした跳ね網も大正末ころまで行われていたが、その後は途絶えてしまった。
図3-32 アユカゴ