〈鵜飼い〉

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多摩川では江戸時代から鵜飼いが行われており、将軍御上覧の鵜飼いが行われ、明治十四年には明治天皇の天覧で跳ね網と同時に鵜飼いが行われたこともあった。そして、明治二十二年に新宿から立川まで甲武鉄道が開通し、郊外の川辺へ遊楽に訪れる人々が増えると、いわゆる観光鵜飼が脚光を浴びるようになる。川辺の風光と鮎料理を売り物にする料亭のもとで、鵜飼いは行われるようになったのである。関戸橋のたもとの料亭「井上亭」も、渡船場に三隻ほどの舟を持っており、鵜飼いを客に見せて舟遊びをさせて賑わっていた。

写真3-29 関戸地区井上亭の鮎漁(大正12年)

 ここで行われた鵜飼いは、川の中を歩きながら二羽の鵜を操り鮎を捕らえさせるものであった。そして、鵜に容易に鮎を捕らえさせるために、幅一尺ほどで長さ八間ほどの細長い網の両端を持つ二人の網持ちが鮎を下流に向けて寄せて行く。鵜を使う者はその長い網の中央を足に結び、網持ちはその歩調にあわせる。網は川下に末広がりにして引くので、遡上する鮎が鵜のもとへ集まるのである。鵜が数匹の鮎を呑み込むと引き寄せ、腰に付けた魚籠(びく)へ吐き出させる。こうした鵜飼いが昭和十年ころまで行われていたのであった。