鉄道は大正十四年に京王電気鉄道株式会社と玉南電気鉄道株式会社が合併し八王子新宿間がつながった。その時に関戸駅が作られ、昭和十三年に聖蹟桜ヶ丘に駅名が変更された。当初は一時間に一、二本程度で乗降客も少なく八王子まで四〇分ほどもかかっていたが、戦後宅地造成の波が市域へも押しよせて都市化が進み、鉄道は公共交通機関として重要な役割を担うようになった。ニュータウン構想の中で公共交通機関として京王線と小田急線の乗り入れもおこなわれるようになった。
バス路線は京王バスが聖蹟桜ヶ丘駅から和田地区の野猿街道を通って八王子市までの路線を昭和二十四年に運行を開始させた。町の中心部をバスが走るようになったのは昭和三十一年からで、聖蹟桜ヶ丘駅~落合中沢線が開通した。昭和三十三年には聖蹟桜ヶ丘~鶴川線、昭和三十七年には聖蹟桜ヶ丘~連光寺線が開通し全域をカバーするバス路線網が整備された。
写真3-31 聖蹟桜ヶ丘駅(旧舎)(昭和34年)