千鳥破風の屋根を作るとき、破風の部分の形作りには気を配った。骨組みであるサスには松の木を使い、根元を上にして組み、両端のサスは少し外側に傾けて固定した。両端の外側への出は先端から重りを付けた糸を垂らしたとき一尺くらいであった。破風の部分には三角形の枠のようなものを作って嵌(は)め込んだ。破風の美しさを出すために三角形の枠には杉丸太の根元の曲がった部分を両辺に使い、横から見ると先端が少し外にそり出す形にした。木取りや寸法取りなどの仕事は屋根屋がやり、実際に制作するのは大工という分担があった。
サスと棟木が組まれると、この骨格の間を竹で組んでいく作業に入る。最初にサス、隅木を堅固に固定するように、水平方向に二尺おきに丸竹又は丸太で固定していく。この材料はヤナカと呼ばれる。次に軒先の水平をきちんと出して丸竹を結ぶ。水平に並ぶヤナカの上に垂直方向に丸竹の草垂木を六~七寸間隔で藁縄で固定していく。これで茅をのせる格子状の面が出来上がったことになる。
木や竹を等間隔に組んでいくには身体を物差しにして長さをとっていった。例えば膝の上に握り拳(こぶし)を置くと拳から踵(かかと)までの長さが二尺になる。これを利用して二尺間隔にヤナカを固定していくときには踵で下のヤナカを踏み、膝に置いた拳の上に次のヤナカを乗せて長さをとり、縛っていった。
茅は下から順に上に向けて葺き上げていく。軒端の部分はあらかじめ藁や麦わらを密に縛っていき、その上に茅を根元の方を下にして並べていく。一並びすると細竹を置いて押さえとし、下の骨組みとの間に藁縄を通してきつく結びつける。茅を置いて茅の上部と下部を竹で押さえていくことを繰り返して棟まで葺き上がっていく。
写真3-33 屋根葺き(昭和40年ごろ)
棟の仕上げ方には竹の簀(す)の子で棟を仕舞う竹瓦(たけがわら)と呼ぶ方法と、竹の簀の子の間に芝を置いていく芝棟(しばむね)というのがあった。少し新しくなってトタン板で棟を葺くようになった。竹瓦は別荘などの良い屋根の葺き方で一般には芝棟で、やがてトタンで仕舞う葺き方が多くなった。棟は雨が滲みないようにするのが第一で、防水のため芝、岩松、菖蒲を植えた芝棟から棟にトタン板を巻く方法に次第に変わっていった。竹は野ざらしにして十年はもつといわれている。
竹瓦の棟の場合は、下から葺き上がっていった最後には茅の先を折り曲げてそろえる。棟木のうえにノベソという麦殼の束を三段に詰めていく。高さをそろえ両側から縄で縛り断面が三角むすびの様にする。これをそら丸という。続いて茅で表裏を葺いていき、最後に茅の束を積み、串を交差するようにさして、これを左右から縛る。これを本丸という。トタンの場合はこれに二、三枚ずつまいていき終わりとなる。
芝棟の場合は両端に藁巻きを置いて、上にみの茅を全体に広げて、そのうえに杉皮を三枚づつおいて行く。さらに、竹の簾(すだれ)をおいて、針金で胴締めしていく。簾は五本とかの奇数本につくる。芝は川の土手などに生えているものを鎌で巾三寸から五寸、長さ尺から尺二寸に切り、金鍬(かなぐわ)で掘り起こす。これを棟の竹簾と胴締めの針金の間に押えこんでいき、所々をU字型をしたバンナイと呼ぶ竹串で止めていく。芝は張り出すと下に延びるから上の方に植え、岩松や菖蒲を間に植えていく。