茅は次の葺き替えを考えて毎年少しずつ主屋(おもや)の二階や物置に貯めていった。茅刈りは秋の末から冬にかけて自分の持山の茅場を刈るか、持山のない場合はほかの人の茅場を金を出して刈った。
貝取地区では茅を刈って人に売り、冬の現金稼ぎとするところもあった。売買は一駄単位で行われた。両手で包むほどの大きさをソク(束)といい、五束を一把(ぱ)、六把を一駄(だ)といった。刈った茅は乾燥も兼ねて刈った山にそのままたてて置いて、欲しい人が来ると売った。茅場が近くになく茅の調達の困難な関戸地区、一ノ宮地区、府中(現府中市)、国立(現国立市)、小金井(現小金井市)、国分寺(現国分寺市)の方からも買いに来たという。
一般に葺き替えを行う家では主屋の場合二〇〇駄程必要となり、事前にあちこちから集めなくてはならなかった。秋も終わりとなるとあちこちの山で刈り置いておき、葺く前に近隣のクミの人に頼んで家に運んでもらった。他に大量の竹と縄が必要で、これも準備した。慣行として手伝いに来る人が普請見舞いといって藁縄一輪と茅を少々持ってきていた。
貝取には不在地主の持っている茅場を共同管理し、冬至のころムラ仕事として一戸一人ずつ出て茅刈りをし、これを売って地区の会計に入れていた。
一ノ宮地区では連光寺地区にある飛地の茅山から刈り出し、馬や荷車に乗せて運搬した。