茅屋根を葺く専門の職人とともに屋根葺きは村人の手伝いなしでは成し遂げられなかった。手伝いはクミの家が中心となり、小さな屋根の葺き替えでも義理で手伝いに出た。これは結(ゆい)仕事であった。報酬等はいっさい払われず、昼、夜の食事が家で準備された。
手伝いの内容は山からの茅運び、屋根から古茅を降ろし、再利用するものと捨てるものを選別する屋根剥(む)きの手伝い、そして、職人の指示に従って茅などの材料を運ぶ屋根葺きの手伝いであった。茅運び、屋根剥きなどの準備は屋根屋が来る数日前までに済ませておき、屋根屋が来ると指示に従って押し切りで茅を切り揃えたり、屋根へ運び上げたりした。
一ノ宮地区ではクミの労働力だけでまかなえない場合はトリヤリがおこなわれた。トリヤリはその家の懇意にしているクミ外の家に労力提供を頼むもので、そうした家を各戸とも一~二軒は持っていた。トリヤリの関係は家同士で代々続いたものだった。相手の家が労力を必要とするときは今度はこちらから手伝いにいった。
こうした手伝いとともに、普請見舞いが行われた。クミの人は屋根葺き材料を見舞いとして届けた。また、大きな主屋を葺く本普請の時は新築の上棟式と同じように本家とか嫁・婿の実家からハンダイ(飯台)が届けられた。これはハンダイと呼ぶ丸い器一対に赤飯を山盛りにして入れ、赤い油紙で包んで届けるものである。これは手伝いの人にお祝いとして振る舞われた。当家の事情を事前に聞いてショウ(生)で欲しいということであればハンダイに糯米と小豆を入れて届け、もらった家でこれを紙に書いて貼りだし披露した。普請見舞いは親戚間で果たさなければならない義理であった。