麹を仕込む材料の米・麦・豆などは近くの農家は持ち込んできたが、遠方の場合は先方へ取りに行く。先方へは日時を知らせておき、近所の農家の分も寄せておいてもらい預かってきた。戦前はそれらを馬力を頼んで集荷したが、戦後は三輪トラックを使うようになり営業範囲も広がってきた。麹の委託は毎年ほぼ同じであったが、注文を聞いて材料を預かってきた。農家の家族規模で仕込む味噌・醤油の量が決まるので、それに必要な量の麹の材料を預かる。米と大豆は秋、麦は六月の収穫時期に預かってくる。材料を複数の農家から預かるので、必ずしも品質が一定ではない。中には品質の悪いものも混じっており、その場合は幾らか値引きして預かる。それは材料が悪ければ麹の仕上がりもそれ相応となるためである。出来上がった麹は馬力(ばりき)で得意先の農家へ配る。そのときに味噌・醤油を仕込む時にどれだけ塩を混ぜれば良いかを必ず伝えていた。
麹屋は醤油絞りも頼まれる。当初はその注文を受けて醤油絞りまで手がけていたが、麹作りの注文が増え次第にそこまで手がまわらなくなり、醤油絞りを他の人へまかせるようになった。麹屋の手配で醤油絞りに携わった職人は四人ほどおり、醤油絞りの季節である九月から四月の間に、麹屋で用意した道具を持って農家をまわったのである。その職人は農家の醤油を絞ると同時に、麹作りの注文も取る。麹屋は職人が一地域絞り終えるころを見計らって、その地域で注文のあった麹を仕込む。絞り終えねば醤油を仕込む樽も開かず、また、農家ごとに麹を運んだのでは手間がかかり過ぎるので、地域ごとの注文分の麹を作り、運んでいたのであった。醤油絞りの注文を受けることは麹屋の得意先を維持し、また得意先を増やすためにも大切なことであった。